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第 4 綴 蒸気機関車が今の技術で蘇ったら(06.1.15)


 タイトル通りの内容を黒で、そうではない話題は緑で示します。
 タイトルどおりの内容はいずれ時間を見て述べることとし、とりあえず、技術的問題で気になることを書いてお茶を濁すことにします。でも、一部はタイトル通りの内容に迫っています。



煙問題:煙害は今でも蒸気機関車の弱点?(06.05.26)
  煙演出 梅林公園の梅祭りで「D51470を守る会」が煙演出をしたとき、「白い煙じゃな・・、やっぱり煙は黒くなきゃー」という声が側に偶然居合わせた副会長の耳に聞こえてきたという。もちろん、守る会としては黒い煙を出したいが、1年前に付けてもらった屋根が真っ黒になってしまっては大変である。白くても、何もないより良かろうということでときどき演出している。事実、その煙が期待以上の効果(煙が出ているのを見つけると、歓声が上がったり、駆け寄って来るなど、果てはステップを駆け上がって運転席に座って「出発進行」と大声ではしゃぐ子供もいるほど)を上げている。
 そこで使った煙源は、自動車が踏切で立ち往生したときに危険を知らせる「発煙筒」。他に方法として考えられるのは、ドライアイス。結婚式などで幻想的雰囲気を醸し出すのによく使われる。が、ドライアイスは凍った炭酸ガスで、それを水に入れてガス化(-79℃以下で固体になっているが、液体を経由せず、いきなり気体になる。余談だが、この気体から固体へ、固体から気体へ相変化することを昇華という。同様液体を経由しないもので日常目にし、よく知っているものにナフタリン=樟脳がある)させ、その微細な気泡が水面から出るとき、ドライアイスを加熱・昇華させた水を細分化・ミスト状(数ミクロン〜数十ミクロンの微細液滴が空気中に漂っている状態)にして空中へ旅立たせる。ガス化した二酸化炭素自体もまだ大気温度より非常に低いので、空気が混ざれば空気を冷却し、空気中に解けていた水蒸気が凝縮・凝集してやはり微細水滴を生む。
 あるいは、ミストを作る身近なものに、加湿器がある。数十ミクロンの水滴を超音波で発生させる。これはどうだろう?
 その善し悪しは、単位体積中に何個の水滴が浮いているかによるだろう、もちろん粒径にも強く依存して来る。つまり、煙突の太さ程度の光軸距離に浮くミストを向こう側から来る光が透過してくれば、透明に近く感じてあまり効果が期待できない。黒ければ、少々透過してきても、黒が強烈で問題を感じにくいが、白煙ではバックも青空とか曇り空、あるいは梅林号の場合ほぼ透明ビニールの屋根だから、やはり目立たなくなってしまう。
 これを検討するためには、必要な煙としての空気量がどれぐらい必要かをまず求めなくてはならないだろう。煙突内径が35cm程度とする。蒸気機関車が全速力で走るときを想定すると、吐出量はは非常に多いが、停車中は逆にほんの少しが出ているだけである。これを計算して求めることも可能ではある。蒸気ジェットを誘因に使わない場合なら、必要な出力を計算し、熱効率がわかっていれば、それで割った値が時間当たり石炭の必要量であり、その石炭を完全燃焼させるに必要な空気量が簡単に計算できる。ここでわからないのが、出力と熱効率。出力は適当な仮定をするか、もっとも厳しい条件として何度の坂を何dの客車や貨車を引いて時速何キロで上れたかというデータが有れば、計算できる。しかし、すぐにはそのデータを入手するわけには行かない。
 それで、もう一つ楽な計算を考える。ただし、楽なだけに正確性にはいよいよ欠けることとなる。水を一杯積んでも約100kmで使い尽くす、だから、給水所は頻繁に必要、これに対して給炭所はもっとまばらで良かった。たとえば水は30kmで10トンを使い尽くすとする。するとそれを蒸発させるために必要な発熱量がわかる。ご存じのことと思うが、ボイラー内は普通日本を駆けめぐっていた多くの蒸気機関車は15気圧。その圧力での蒸発熱を石炭が賄っていたわけだが、その蒸発熱は大気圧での蒸発熱と比べ相当多くなっていることに注意しなくてはならない。
 そうして求めるのも、簡単化したにしてはまだ計算自体は面倒である。
 いよいよ簡単に、「風に負けずに出てゆくためには?」という方法でトライしてみよう。時速36kmで走る機関車の煙突から出口近くで大気に出くわすわけであるが、大気は煙突から見て10m/sで走り去る。45度で煙が上ろうとするなら、煙の出口速度も10m/sでなくてはならない。約1立方b/秒となる。実際走っている煙を見ると、こんなところのようにも思う。もちろん、出口から出たらすぐに、大気と同じ速度になって、上昇速度は煙が暖かいうちは浮力の影響で上ろうとするのであって、その角度は維持されない。
 35cmに渡って透過するかどうかという点で、透過させないためには、その間に水滴が一粒あれば良いことになる。この計算は、粒子の平均断面積(平均粒径から計算可)と粒子密度を与えれば、Lambert-Beerの法則を擬似的にあてはめておおざっぱに求めることができる。逆にこの計算で透過率が10%以下になるために必要な粒子密度が求められ、必要な煙流量に対する所用水量が決められる。これはまたいずれ求ることとして本題へと話題を進めたい。

   煙の正体 普通の煙は燃料に含まれていた数十ミクロンの不燃性物質でできている。いや可燃性物質もありうる。たとえばローソクの煤は全く可燃性で、炭素の細かい粒が集まったもの。東京都知事が5-6年前にペットボトルに入ったディーゼル排気を集めたものを振って、これが諸悪の根源物質だというようなデモンストレーションをやったが、あれは炭素主成分の煤に、エンジン内で燃え損なった軽油あるいはその変質分、さらにピストンリングの潤滑油が飛び出して煤と合体したもの(Particulate Matter=PMと言われるもの)などが集まったもの。発煙筒はそんな物質をあえて沢山出すように作られている。これら、不燃微粒子や水滴が、直進する光の方向を曲げてくれる現象の一種・Mie(ミー)散乱にちょうどよいサイズ。いや正確には、Mie散乱されやすい光はその粒子のサイズと波長に強く依存し、人間の目によく見える 0.4〜0.65μの光をそれらミストのサイズがほどよく散乱してくれることになる。そのサイズは数μなのだが、それより大きくなると、散乱ではなく反射となる。また後述するように、そのサイズがその程度をかなり上回ると、空中に漂うことができなくなり、地面に落ちてしまう。よくできている。
 粒子が黒いと、吸収してしまうので、黒く見える。かくして、煤は光を受けるとあちこちにその光を散乱させ、またあちこちからの光を吸収してしまう。雲も同様に微細水滴の塊だから、散乱された光は白く見える。牛乳が白いのも同様の原理。牛乳は水の中に油脂分が非常に細かくなって浮いている。だから同様のミー散乱で白く見える。もしその粒径がもっと細かく(0.2μ程度以下)なると同じ量の油脂分が入っていても、だんだん透明に見えてくる。そのサイズにより、上述のように散乱しやすい光の波長が変わる。夕焼けが赤いのは、1μ程度の埃が大気に有り、それを1μに近い赤い光(0.65μ程度)は散乱されにくく、0.5μの緑色あたりから0.4μあたりの菫色あたりは散乱されやすいので、結局塵埃を通り抜けて来るのは赤が多いということ。霧でぼける太陽、あるいは夕焼け・朝焼けの太陽光は、空気層を長々と通ってくるわけである。高く上がった太陽は塵埃層が薄くなっているので、そういう効果は受けにくい。これは光の波としての性質である。だから、これら現象は同じ波である音と比較して理解するともっとわかりやすい。
  音の考察との類似性 低い音は遠くまで届くが、高い音は建物に反射しやすいというようなことを聞いたことがあると思う。低い音たとえば100Hzの音は、波長が3.4mだからそのサイズに近い物体をすり抜ける。ところがそのサイズより障害物がかなり大きくなってくると、通り抜けができず、反射してしまう。かくして音の周波数が低ければ低いほど建物や障害物を通り抜けてしまう。高い音は逆に通り抜けられずに、光のように反射する。ビルの間で下の方の音が上の方で聞こえるのは建物をする抜けて行ってしまわず、壁で反射して上まで登ってくるからということになる。
 汽笛の音ともこじつけ !!  煙の色から脱線して音に踏み込んでしまったが、もう少し脱線を許されたい。機関車で音といえばなんと言っても「汽笛」の音を誰もが思い出す。この音に大きな秘密が隠されていると私は思う。詳しい話は別の節で述べるが、ほとんどの蒸気機関車の汽笛は 5声になっている。なぜだろう?私は本当のことは知らない。別の項で、和音になっていて、その和音は短調のそれだろうとか、なぜなら短調は悲しさも表現できるが力強さも表現するとも想像して書いた(音楽の理論家が聞いたら間違いだと言われることを覚悟して)。さて、和音にすると単音より音がきれいに聞こえる。まさに、汽笛は音程が固定されたパイプオルガンと同じ。いや、音程が強制的には変えられないようで、実は変わっているところが今も私には謎のままでそれは別稿で述べるとして、5声になっていることのもう一つの理由付け。これも真の意味を知らない無理矢理のこじつけの話。汽笛はラの音が一番低い(全てそうとは限らないと思うが)。その音は442Hz程度。だから波長は1mより短いのだが、とにかく低い音なので遠くに届く。蒸気機関車が走っていたころ私の自宅と岐阜駅は5kmほど離れていて途中には市街地があり、中層ビルも有った。それでも雨の日などは結構な音量でーッという音が響いてきた。つまり、もっとも長い笛の低い音を用意したのは、できるだけ遠くに音を届かせたかったということだろう。ビル群を簡単に乗り越えて、あるいは少々の山であってもなんとか乗り越えて、全く姿の見えない向こう側まで響かせることができる。でなければ、汽笛の意味がない。ともかく蒸気機関車は前方が見にくい。逆にレール上で作業したりする人には遠くからでもかなり前から接近を知らせる必要が有ったろう(もちろんレールに耳を当てて接近を確認するシーンは映画でもよく見る)。一方、それより1オクターブ以上高い音(正確にはわかっていないが、一オクターブ上のラの少し上のドの音?)は周波数にして1200Hz程度。これは電気機関車のピーッと言う音より少し高い。これはボーという低い音より刺激的で、危険を知らせるのに良い。そんな役目を一つの汽笛に組み込んで同時に発しているのではないだろうか?(ただし、一オクターブでは波長は倍にしかならない。つまり障害となる物体の大きさは半分になるだけ)汽笛ではないが、名鉄のパノラマカーも「ドラファ ドラファ ドラドファー」とメロディーで560Hzから880Hzまでの三声構成である。
 波が障害物を乗り越えるかどうか、煙の話から音に脱線したが、もとに戻ろう。
 密集したミスト状の液滴は結局可視域(虹でわかる赤から菫色まで)のほとんどの色を散乱してしまうので、白く見える。煙はどうかというと、ミクロンよりぐんと小さいナノメートル級のカーボンが凝集しあって大きな粒になっているので、表面がでこぼこしていて光がその凹凸にもぐり込み、反射散乱して出てこようとしても多重に繰り返すうちに減衰して表に出て来れなくなる。ビロードや植毛紙はこの原理により、吸い込まれるような黒色を呈する。多孔質の木炭もそうである。音の場合は、無響室は音の波長に合わせたコーンを壁や床から一面に突きだして、音がコーンの中で反射を繰り返すうちに吸収、吸収を繰り返し、反射成分が激減できることを利用している。石炭はその中に油脂分が入っているので、黒いながらも反射が少なからず有る、いわゆる黒光り・黒いダイヤという感覚をもたらす。ちなみに透明なガラスも片面で5%程度、両面で10%程度反射をする。これが写真撮影などで邪魔な光となるし、それを使った高度写真が生まれる。写真機のレンズがその反射の性質を常帯すると、写し込まれた映像にゴーストが写りこむから避けねばならない。コーティング(波長程度の特殊物質を表面に塗る)により(今までくどくどと述べてきた邪魔物を波がすり抜ける現象は干渉という現象により説明されるが、反射を抑える原理もまさに干渉を利用することは高校の物理で習ったことを思い出していただきたい)によりそれを抑える。もし石炭の表面をそんな風に可視光が反射しないコーティングを施したら、木炭のように真っ黒になるかも。
 では、煙演出で黒を出したいとしたら、どうすれば良いのだろうか?この多孔質の固体微粒子を含ませれば可能。が、そんなものはなかなか無い。発煙筒で発生した白煙、ドライアイスで発生したミストにこういう粒子をチンダル現象が起こるサイズで混入させなければならない。大きな粒子なら、重力で落ちてしまう。どの程度の大きさなら浮いていられるだろうか?この目安を教えてくれるのは Stokes の立てた式。これを使って解くと、5μの埃は球形なら20cm/sで落ちる。逆に20cm/s程度の微風が吹いていれば、それに乗って漂うくことになる。落ちないと言って良いだろう。実際は多孔質で球形でもないので、10μ程度でもあまり落ちないだろう。花粉はさらに密度が低いので、空中を漂い生まれたところより遠くまで飛び子孫繁栄に役立っている。自然はうまくできていると思いたいが、花粉症の方は、もっと花粉サイズが大きく、早く地面に落ちてくれば迷惑を受けずに済んだのにと、そのサイズを呪いたい気持ちだろう。その程度の大きさの黒い粉を散布してミスト流に漂わすことができれば、黒い煙を演出することも可能だろう。天井に当たっても、油脂分が有る場合は取るのが難しいが、そうではなく乾燥しやすいものなら、水ジェットをかければ取れるだろう。そんな粒子が都合良く廉価で入手できるかどうかである。
 なお、煙発生装置は、やまてつさんの保存車掲示板にやまてつさんご自身が調べられた消防訓練用のものを紹介されている。優れものだと思われるが、やまてつさんも一缶5000円を超える液を使うことに難有りとされている。その通り。梅林号を守る会は、補修用ペンキ代を市から供給していただいているが、他は会メンバーの懐から出ている。煙演出は、守る会のメンバーの楽しみだという考え方も有ろうことから、要求していない。だとすると、一缶で何回使えるのかわからないが、5000円も払っていては維持が大変。賞味期限を過ぎた発煙筒なら無料という強みが有る。と言っているうちに、守る会副会長の A・Yaさんの息子さんがどこかで中古品を入手され、持ち込まれた。さすが、においもしないし煙の量も十分あるが、問題は液体の価格。中古品に付いていたので、新品がいくらするかわからないとのこと。5000円もすると、やはり普段は発煙筒でお茶を濁すことになるかも。
 さて、煙演出はこの程度にして、本題に入ろう。「本題」とは、もともとこの綴は「今の技術で蒸気機関車が復活したら」である。そこに話題を戻したい。
 蒸気機関車が姿を隠してゆくとき、「無煙化」と言われた。その代わりに台頭してきたのが、電化による電気機関車であり、電車であった。また、電化が経済的に見合わないところはディーゼル化であった。ちなみに、電化について戦前・戦中の陸軍は大反対したという。もし、どこかで発電所あるいは架線が攻撃されれば、ひとたまりもない。ところが蒸気機関車はレールが有り、石炭と水さえ補給できればどこまででも走り続けることができるという主張であった(これは美濃加茂在住で、機関車の知識が満載されているだけ人より大きめの頭を付与されたのでは?と見受ける Yさんから聞いた話)。もちろん、これはディーゼル車であっても良い。レールさえあれば、一ヵ所の攻撃ですべてが終わる仕組みになっては居ない。これは最近各所で言われる「分散型」。大型計算機システムも特殊なところが昔のメインフレームを使っている以外、分散型になっている。エネルギー供給もコージェネ方式に移行するところが結構有る。蒸気機関車やディーゼル機関車は、そんな最近もてはやれている先進的アイディアの「分散型」だったのだ、レールを除いて。
 その分散システムが、主に煤煙が理由で蹴散らされたことになっている。他の稿でも述べたが、私が保存活動をしていると言ったとき「君、活動している本人たちは何か保存活動は良いことだと思っている節が感じられるが、世の中には蒸気機関車そのものに嫌な思い出を持っている者も居るんだよ、俺がその本人なのさ」という次第。「広島に住んでいたとき、レールに接して住居が有ったため、蒸気機関車が通過するときには、お袋はその前にさっと洗濯物を隠し、窓は閉めなくてはならなかった。どうだ、一日に何回となくそれを繰り返さねばならなかったその気持ちがわかるか!」という言い分だった。なるほど、何の反論もできようはずがない。でも、このページを読んでいる多くの人は「言いがかりだ」と知っている。そう、蒸気機関車が悪いわけではない、蒸気機関車に「石炭を」使ったのが悪かった。もし煙を気にするなら。
 蒸気機関車はもともと外燃機関と言って、燃料は選ばない。その点、ディーゼル機関車は内燃機関であるディーゼルエンジンを使うわけだから、燃料は軽油あるいはその性質を持っている必要がある(つまり、圧縮した温度でそこそこに自着火しなくてはならない)。が、蒸気機関車でたとえば軽油や重油を使うとして、それは自着火できなくても問題ない。普通のボイラーなのだから、継続的に燃え続けてさえくれれば良い。軽油や重油を使うなら、ディーゼルのように煤が出るかもしれない、と心配する人も有ろう。が、ピストンが上死点に居る間の一瞬で燃えなくてはならないディーゼルエンジンと比べ、ボイラーの燃焼は楽である。とくに煤ができるのは、ディーゼルエンジンで燃料が噴霧として出てきて蒸発し、空気と拡散混合して初めて燃え尽きることができるのに、ときと場所によってそれが叶わないまま、ピストンが下がってゆき、温度も下がって燃焼できないままになる成分が煤になる。軽油や重油と言われるものは、炭素と水素が結合した物質なのだが、その水素は比較的早く酸素と化合するが、逆に炭素は先に酸素を取られてしまい酸素不足だと炭素のまま取り残されることになる。それが煤に成長するわけ。ディーゼルエンジンは、それが嫌われ規制されるので、噴霧を吹き出す圧力を高めることで超微粒化している。そのサイズはμ級であり、燃焼して残ってもサブμ(1μ以下)級。これはそこにそういう固体粒子が有るのに、見えなくなってしまうことは上述の通り。こうして高圧噴射(どれぐらい高圧かというと、もし燃料を微細な霧状にするその噴射ノズルの前に指を置いたら、その噴霧ジェットは指を貫通する。その影響は直後はわからず、しばらくして指に入った燃料の影響で異物を排除しようとする生命活動で異常な状態を引き起こして腫れ上がって来る、治りも大変に遅いという)がディーゼルエンジンでは普及してきているが、固体粒子の大きさだけでなく量も激減させる技術なのに、μ粒子だったら、肺で血液に取り込まれることがなかったのに、サブμ粒子(ナノ粒子とも言う)は血球サイズより小さくなり、酸素と同様に肺に取り込まれても良いサイズになっていて、それが体内でいたずらをするようになったと、ディーゼルエンジン開発者に追い打ちをかける発表がなされたことがある。蒸気機関車が煙害問題で排除されたとするなら、ディーゼルエンジンはかくしてPM問題で排除されかねない。ディーゼルエンジン開発者は必死であるが、西欧ではガソリン車よりそんな問題を抱えているかもしれない(その後その話題は聞かなくなった)ディーゼル車の方が好まれているのも事実。
 蒸気機関車のボイラーでは、そんなことにならない制御は簡単にできる。上述のように、大気圧の元、広い空間で空気と十分混合させ、燃焼させれば煤は出ない。温度が異常に上がらない、滞在時間が異常に長くならない制御さえすれば、NOxもそれほど出ない。最近大型エネルギー施設で電気と熱を供給しているところが多いが、熱のみを供給する必要があるときはボイラーを使う。このボイラーは火力発電所のボイラーと違って、まさに蒸気機関車と同じ構造と考えて良い。つまり、煙管式(火力発電所のそれは水管式)。横置きボイラーに過熱機を備えれば、そのまま蒸気機関車に使うことができる。そうしたボイラーから「黒い煙」が出ているのを見た人はいないだろう。かくして、燃焼排気という視点では、代替されたディーゼル車よりよほど蒸気機関車の方がきれいな運転ができたのだ!!
 ということで、石炭を焚くのが蒸気機関車と定義すると、煤は変わらないが、それをはずし、石油や天然ガスを使っても良いとなれば煤は出ない今はやりの「クリーンエンジン」なのである。事実、昔であっても点火を助けるため重油を使ったり、機関車によっては重油を蓄えるタンクが備えられたものもあった。また最近の動態保存でも、町中を走るときは重油炊きという仕組みも有るという。野辺山のSLランドの小型機関車はプロパンガス(液化石油ガス=LPGの主成分)で走っている。
 それでも石炭を使うとしたら  このページは、「最近の技術を使ったら」ということなので、軽油にすれば煤が出ない、ディーゼルの方がむしろ悪いとんだ言いがかりだったという結論では不十分であり、あまりに安易に過ぎよう。石炭の汚名をも拭っておかねばならない。現在も石炭は製鉄や火力発電で大量に使われている。蒸気機関車の時代はまだ日本に大量に石炭が有った。北海道夕張炭とか九州筑豊炭である。我々の時代にはテストにそれが出た。今の子供はそんなことは習わない。梅林号見学の小学生にもまず石炭を見たという子はいない。その親御さんですら、「私も実は知らない」という人が圧倒的になるだろう。
 日本で石炭が採れなくなり、燃焼させてエネルギーを取り出すのに固体だから流動性運搬性が石油やガスと比べて劣性にあることもあって、蒸気機関車の劣勢に追い打ちをかけた。輸入してまで煙害の蒸気機関車を使う必要は無いわけだ。たとえ無煙炭と言おうとも、不燃成分一部が含まれるので、少なからず煤塵を発生するしそればかりか、天然ガスはほとんどが炭素と水素の化合物で成り立っているため燃焼後の汚染物質として考えなければならないのは CO(空気不足で発生するが、火力発電では出ないと言って良い、天然ガス自動車や家庭用のストーブ、オーブン類では気になるかどうかという程度出ている。だから規制が有る。勿論火力発電所であっても、燃焼制御を間違えば気になる以上の量が出てくる。火力発電所では、NOxが問題視されている。家庭用ガス器具も厳しくなってきている。これは空気中の窒素と酸素が燃焼高温中で化合して出てくるものなので、酸化剤として空気を使う以上、なにがしかが出てきてしまう。たとえば今その規制クリアーにしのぎを削っているのが、上述のディーゼルエンジン。煤発生条件とのトレードオフがあるので、片一方を消そうとすると他方が出てしまうという構図。最近はそれもかなり制御できるようになってきた。さて、石油も主成分は炭素と水素により作られているハイドロカーボン(炭化水素)。だが、生産地により含有量の違う硫黄化合物を含む。自動車燃料には精製段階で最近は非常に低濃度(50ppm)に除去されている。石炭になると、さらに窒素化合物(よく知られているのがアンモニア)が含まれる。その窒素酸化物が燃焼により空中窒素でできると上述した量以上に窒素酸化物(NOx)になって放出される。硫黄酸化物(SOx)も窒素酸化物も、酸性雨の原因物質として忌み嫌われ、規制が厳しい。その規制の緩い中国から固体である黄砂より楽にそれらの気体状汚染物質は日本に届く。
 そういうわけで天然ガスはNOx対策、石油はSOx対策、ディーゼルエンジンではPM対策、石炭はNOx、SOx、煤塵対策をしなくてはならないし、それらの濃度が石油燃料から出るより多いことも面倒を背負い込んでいる。さらに最近の話題としては石炭は発熱成分としては炭素だけなので、発熱量の割に二酸化炭素排出量が多い(おおざっぱに、天然ガス:石油:石炭=0.6 : 0.8 : 1.0)から、温暖化抑制のためには、天然ガスをできるだけ使えということになって、石炭は使わないということが勧められることになる。
 さて今大量消費しているエネルギー資源の中で可採量(エネルギーベースで)最も多いのが石炭。55%以上を占める。残りを石油と天然ガスがほぼ同等量(約20%づつ)、ウランがわずかに(5%)有るという状態。現在上述のごとく、ただでさえ資源量が少ないのに石油や天然ガスを先に使ってゆきそれらが枯渇した後、最後に頼るのは嫌われ者で残された石炭ということになる。子孫に残すのは、面倒なものというわけだ。やはり先に生まれた者が得をする。そうは言え、世界はエネルギーの26%を石炭に依存している。ここ数年中国の伸びが大きく、国内生産がままならず、日本への輸出を絞るばかりか、豪州からの輸入を図り、石炭高騰騒ぎが有った。石油高騰ほどの上昇率ではないにせよ、日本は中国からの輸入が不安定になり、豪州炭も奪い合いということで厳しい状況となった。つい先日、それが収まり中国炭が値下がりに転じたというニュースが有った。エネルギー価格は、投機も大きく影響するので需要と供給のバランスの崩れだけが価格操作要因ではないわけだ。とにかく、石炭は他と比べれば潤沢でありながら、利用が進みにくいものの、使わないわけには行かないので汚染物質対策はそれなりに開発されてきている。
 煤塵は粒子サイズが大きい物は遠心力で吹き飛ばし、それでは取れない微粒子は静電気で取る。硫黄酸化物は石膏に吸収させる。窒素酸化物はアンモニアを迎え酒のように投入してN2に還元してしまう。石炭火力発電所などではこんな風に汚染物質を除去して規制値をクリアーしている。それらの濃度は非常に低いのではあるが、火力発電所からはき出す排気ガス量は想像を絶する量(今計算値を持たないが、それほど難しい計算ではないので近いうちに示そう)なので、少量であっても全体量は非常に多い。それが局所的にばらまかれると大問題になるため、広く拡散してさらに濃度が薄く薄くなるように高い煙突が作られている。その高さたるや数百b(と言っても200m級)にもなる。
 「火力発電所から煙が上がっている」と関係者に無意識に言えば、その関係者はドキッとする。今の世の中煙突から「煙」が上がってはいけないからだ。「でももくもくと出ているよ」と言うと、「それは何色?」と質問が帰ってくるだろう。「白いよ」というと、「そうでしょうとも、それは煙ではなく、蒸気なんですよ」ということになる。いわゆる「湯煙」。煙たる「煤塵」は上述のように処理されているので、「黒い」あるいは「灰色」の煙は出てはいけない。ただ、運転最初のほんの一瞬は出ることがあるだろう。ゴミ発電所でも事情は変わらないが、いろいろのゴミが出てくるので、制御が難しく、たとえば急にプラスチック材が大量投入されると、勢い酸素不足で煤が発生する。最近はそういう制御もこまめになされるから、よほどのことがなければ煤が出る煙が出るということは無いと想像する。しかし、中にはその煙を部外者が自前でモニターする人も居るという。煙突の排気を双眼鏡で監視し、黒い煙が出ると、発生源に連絡するのだという。勿論関係の職員ではない。一般の人が、きちんと運転しているかを監視しているのだという。火力発電所よりむしろ、「ゴミ・廃棄物発電所」でそんな風に気になる人の監視がなされるという。燃料の質が多様で燃焼制御が非常に難しいから、石炭・石油・天然ガス火力よりそうした汚染物質はが出やすいからだ。
 単純に、先ほどは「石炭を使うから煤が出たのであって、軽油の類を使えばディーゼルエンジンよりきれいな排気」と書いた。しかし、「石炭を使ったらやはり黒い煙が出るのか?」というと最近の技術では上述のようにあの手この手でそれが出ないようにしている。さらに、上述では燃して出たものを取り去る手だてを書いたが、昔のように火室に石ころサイズの石炭を投入して燃すより、今は石炭を細かくし、微粉炭として燃す。あるいは、重油と混合して「流動床燃焼」という方式も使われる。そんな方法を蒸気機関車にも適用することになる。これで空気との混合が進みやすくなり、煤が発生しにくくなる。が、それでも本来の炭素と水素以外の成分は煤塵となるので、いかに「無煙炭」であろうともそういう成分が皆無というほどではないので、「集塵装置」が必要となる。さらに石炭だから脱硫装置、脱硝装置が必要となる。これらはコンパクトではない。ただでさえ大きな図体の蒸気機関車にさらにこうした設備を備えるのは好まれない。石炭は汚染物質を処理しやすい定置式の火力発電所や製鉄で使ってもらい、移動式の交通機関では使わない方が良い。
 実は石炭はまだ大問題が有る。石炭火力発電所近くでたとえば朝顔の葉に斑点ができるなどの問題が訴えられることがある。これは石炭のCとH以外の成分のなかに、金属酸化物たとえばアルミ酸化物、ケイ素酸化物など石のような成分も有るが、やっかいな水銀やカドミウムなど重金属が微量ながら含まれている。現在はそれをどう検知し、どう処理するのかが研究されている。蒸気機関車に石炭を使えばいずれその処理装置を備えなくては鳴らなくなる。
 重油を使えば、硫黄は十分取られていないから脱硫装置は備える必要があるだろう。軽油なら多分脱硫装置も不要だろう。脱硝装置も多分不要。つまり非常に軽装備で済む。ディゼル車よりぐんと楽になるということだ。< br>  天然ガスは可能性があるだろうか?気体燃料なので、液化しないと航続距離が圧倒的に短くなるので考えない方が良い。でも天然ガスを現在は輸入していてそのために-200度程度まで冷却・液化して運ぶ。ご存じ LNGの L とは Liquified (液化)のこと。それは日本が進めた技術とも言え、今アメリカでも天然ガス石油の枯渇が間近に迫って、急遽輸入を増やしている。今までは自国やカナダ、アラスカ(自国といえば自国だが)からパイプラインで運搬できたが、輸入となるとパイプラインでは無理。液化しなくてはならないので日本の技術が売れている。それではたまらないということと、液化した場合は使うとき再び気化しなくてはならないので、それぐらいなら天然ガスの化学構造を変えて液体燃料にして運搬すれば、輸入後もそのまま液体なので、運送も楽ということで GTL(Gas to Liquid)と呼ばれるものがトレンドになりつつある。上述野辺山SLランドのように液化石油ガス(プロパン)を使うなら、タンク圧力耐圧は5気圧程度で、市内を走るタクシーの一部と同様、ガソリンや軽油よりは大げさながら、テンダーに積めば石炭とどっこいどっこいの発熱量分を積載できるかもしれない。一方、石炭は固体だから先ほどのように微粉化して液体燃料と混合して使うというのではなく、はじめから液化してしまう技術が20年以上前も盛んに研究され、今も続けられている。石油価格の高騰が続けば、この技術で作った液体燃料が出回るかもしれない。もしこれは「石炭」だと言えるなら、黒い煙も吐かないし、硫黄などは液化段階で取り去られるので、非常にクリーンな燃料になる。でも、やはり「煙が出なければ蒸気機関車じゃない」というなら、無理になる。あるいは、機関助手とのあうんの呼吸で走らせたのにそれがいらない蒸気機関車なんて、おもしろくも何ともないなどということだと、やはり無理矢理作った話となってしまう。
 英国や米国では蒸気機関車のリバイバルが考えられているという。そのホームページを読むとまさに最新の技術で再設計しての話だという。D51470の小串付近を走るきれいなカラー写真を提供していただいた、「かび玉28号」さんの情報。羨ましいようなプロジェクト。米国では、その寄付金呼びかけに「米国には石油も石炭も枯渇に向かっているが石炭はまだまだ十分有る」とキャンペーンしているようだ。今までこのページを読んできた人には、このキャンペーンは一般の人の錯覚を利用していることがわかる。つまり、「蒸気機関車は石炭で走る」という意味で。実に巧妙な作戦である。ブッシュ大統領も石油・天然ガス枯渇状況で、エネルギーがぶ飲みの米国をどう導くのか苦慮している。本来イラクなどに手を出している余裕など無かったのだ。目をそらすために、貴重なエネルギー資源を爆弾や輸送で兵隊の命とともに使ってしまった。枯渇を少しばかり早めてしまった。そんなところに、石炭が有るというキャンペーンは人の心を揺さぶる。実際米では石炭のクリーン燃焼研究が盛んである。温暖化問題に弱い石炭の炭酸ガス封じ込めの研究も盛ん。でも、だから蒸気機関車復活というのは単なる蒸機復活のための作戦に利用したに過ぎないだろう。
 こうして議論してきた石炭だが、今の人には石炭が何かわからない人が多くなっている。小学校の遠足で来る生徒で石炭を見た人は皆無と言える。その親御さんもそんな風。だから梅林号に説明のため備えねばならないと思っているほど。このように一般が目にすることは無くなってしまったのは大変残念。はじめに戻るが、かくして「黒い煙を吐かない蒸気機関車では・・」ということになると、今の技術を持ってしても、嫌われ者の汚名はぬぐえないことになる。
 次回は、煙に関連して、「煙突」の話を少々したい。


蒸気の変わりに圧縮空気を用いたら?(06.1.20)
  • 下の記事への追記(06.01.24)
    蒸気エンジン(vapor engine)は、1980年代の石油ショックが深刻だったころ、百家争鳴とも言える仕組みの提案が世界中でなされたときにも現れていた。自動車のエンジンとして。なんと言っても、外燃機関なのだから燃料を選ばないのは大きな長所(もちろん、蒸気機関車も燃料は原理的には石炭に限らないのは周知のとおり)。だが、問題は自動車の動力となると、コンパクトでなくてはならない。燃料電池車構想の中で、メタン改質やガソリン改質方式は淘汰されてしまった。故障の確率を増やし、積載する重量も容量も大きくなるのに対し、水素タンクの耐圧が十分高くとれることとなり、水素直接利用方式が優位に立って今に至っている。ベーパーエンジンも、ガソリンエンジンのようにコンパクトに作れるかどうかが燃費以上に重くのしかかる。結局、石油ショックがのど元を過ぎると、今まで通りで良いということになり、可変ストロークエンジン、可変シリンダーエンジン、スターリングエンジンやら、燃料電池(当時から研究されていた)車、フライホイールカー、ガスタービン車などとともに、ベーパーエンジンもひっそりと影を潜めてしまった。当時の論文を廃棄してしまったようで、今となっては vapor engineがどんなものだったのか、私にはわからない。vapor engine、実はRankine Engine というのが学問的と言える。steam turbine も steam locomotive も、Rankine の考えたサイクルに他ならない。最近でもこの種の研究はなされているが、ほとんどがバイオマス利用発電や、太陽熱利用エンジンとして、つまり外燃機関の特徴が有効に使えるものとして。あるいはアンモニア利用の佐賀大学発上原サイクルも蒸気サイクル-カリーナサイクルと言って水・アンモニア利用で、低温度差熱源を利用する巧妙サイクルも研究されている蒸気エンジンと言える。とにかく、Vehicle (乗り物)を動かすエンジンとして当時は Rankine Engineも有力候補として考えられていたのは紛れも無い事実。どんな作動流体を使い、なぜ実現に至らなかったのかは私には不明。ただ、比較表としてのデータは残っており、それによればガソリンエンジンの1.8倍のコストで熱効率はガソリンエンジンは13%だが排気処理で10%なるのに対し、12%と示されている。もし熱効率がこのような値であったとしよう。外燃機関だからスターリングエンジンと同様に静粛。多種燃料機関であることは述べた。長所が多いにもかかわらず、車用として実現されていないのは、やはりコンパクトさによろう。たとえエンジン自体がコンパクトに作れても、外燃方式の欠点は、作動流体の熱をどう取り去るかが大問題なのである。これは外燃式と言える燃料電池にも通じる。発電効率が30%(トヨタの FCHVはマックス50%と開発者から直接聞いたが)とすれば、水素の吐き出すエネルギーの70%を捨てなければならない。内燃機関は排気ガスが持ち去るので、楽。燃料電池はスタックから全て放熱しなければならないが、スタック温度は80℃程度で高くはないので、熱を取り去ってくれる外気温度に対する温度差があまり無い。放熱量は大ざっぱに、温度差に比例すると言えるので、これは実に苦しいことになる。内燃機関のラジエターは水を循環して熱をフィンに運んでいるが、水の沸点では同じく温度差が低いからわざわざラジエターは加圧してその温度差を高くして放熱を楽にしているほど。内燃機関がラジエターから放熱するのは、シリンダーから逃げてきた分程度だから、燃料電池車と比較すると割合としてはぐんと少ない。それなのに、温度差条件が良いのだから、燃料電池車がどんなに放熱が苦しいかわかるというもの。ましてや、夏になったら、周囲温度が高くなりいよいよ放熱が厳しくなる。燃料電池車は冬水が凍ることが苦しいと思っていたら(ホンダはそれを零下20℃までOKとした、トヨタの開発者も我が社はすでにそれを可能にしていると当時言っていた)、実は夏もこうして放熱の面で苦しむ(夏の苦しさを直接開発者から聞いたことは実は無いのだが、理屈の上ではそうなる)。スターリングエンジンもまた同様である。放熱用のブロアーがガソリンエンジンの倍になるとされていた。もちろん、蒸気機関を復活させる場合も、これは問題である。もし、水の供給基地を作らないとしたら、水を冷却、凝縮して再利用しなくてはならない。このあたりは前の記事でも述べた。スティームタービン発電所が海辺にあるのは、大量の熱を海の水に捨てるためである。日本はその点、海が近いので内陸に発電所を見ることはないが、大陸では河の水に捨てる。原子力船などは、海水中に居るわけだから、放熱の問題は楽。蒸気機関車で蒸気を冷やして水に戻すためには、それなりの放熱装置が必要になり図体をさらに大きくする。廃止された日本の機関車は全て、水蒸気を冷やさない変わりに捨てて、その放熱工程をサボっている。その代わり、水供給施設が数十`単位で設けられている。まるで、昔の「一里塚」ならぬ「十里塚」である。
     さて、上述のいわゆる「エンジン」 (英語は Heat Engine)とは外から熱エネルギーを供給しそれを仕事に変換して取り出す装置のことである。それに対し、逆サイクルを構成すると、動力を投入して熱を発生(本当は低温熱源から熱を組み上げて高温熱源に供給すること)する。そういう機械、仕組みのことを Heat Pump という。ヒートポンプという名を聞いたことが有るひとが多いと思うが、エアコンや冷蔵庫に使われている。その中には冷媒という気液状態のものが入っている。気体状態にあるとき、蒸気 (vapor)という。れっきとした蒸気機関とも言える。ただ作用が上述のように反対になっているだけと言えばその通り。さて、日本語ではアンモニアの気化したものも、水が気化したものもとにかく、蒸気であるが、英語で steamはまさに水蒸気、vaporは蒸気。steam engine, steam turbine, steam loomotive と英語で言っても、日本語では水蒸気タービン、水蒸気エンジン、水蒸気機関車などとは言わないので、単に蒸気エンジンと言ったとき、作動流体が水蒸気か他の蒸気かが曖昧になる。このホームページで、「蒸気機関車のリバイバル」などと言ったときは、当然水蒸気機関車のことである。

  • 以下がもともとの記事、上は以下の記事の追記分
     以下は、「やまてつさん」の「保存車両掲示板」に、岐阜工業高校の 蒸気機関車を題材として書き込みをしたとき、やまてつさんご自身から質問された際の問答を元にして書いてみる。もちろん、このページの主旨「今の技術で蘇ったら?」という内容とはほど遠い。むしろ、蒸気が使えないこととなり、それでも蒸気機関車のシリンダー・ピストン・クランクなどを使って蒸気機関車のデモをするとしたら何で代替できるか?という逃げの話しになる。
     岐阜工業高校は、当初まさにスチームで動かしていたという。近くにボイラーを主とするメーカーが有って、そこが技術的にアドバイスしたようで、経年変化していたためか、蒸気のままでは危険として諦め、圧縮空気駆動にしたと聞く。蒸気機関車がSteam Locomotive から来ているのだから、それを空気にしたのなら、 ALとしなくてはならなくなる (実は、Air Engine というものが昔実際にあった。Steam Turbine は蒸気がタービンを回して動力を発生するから、Steam Turbine。そのタービンを空気と燃料が混ざって燃えた燃焼ガスが回すと、これは Gas Turbine。空気エンジンは、そのシリンダーピストンに入って作動する流体が、空気だからだ。ディーゼルエンジンやガソリンエンジンは、軽油やガソリンを燃すのに空気を吸うのだが、それらは空気エンジンとは言わない。空気エンジンはまさに空気だけを吸わせ、それを加熱冷却させて動かしていた。そこは、シリンダーピストンを使っていながら、ガソリン・ディーゼルエンジンなどのいわゆる内燃機関と異なり、蒸気タービンや蒸気機関のように外燃方式であった。考案した人の名前をとって、普通には Stirling Engineという。聞いたことが有る人が有ると思う。一時ガソリン機関に負けてすたったが、Philips が外燃機関であることから石油ショックに耐えられるとか、実は太陽熱でも動くからと、オランダ(Philips はオランダの会社) の離島などの発電施設に良いなどに目を付け、また理論効率はカルノーサイクルと同じだから高熱効率が期待できるとしてリバイバルに火を付け、完全復活とまでは行かなかったが、日本でもサンシャイン計画の目玉として盛んに研究された。蒸気機関車は水が命でそれを吐き出してしまうと吸水が必要になり、コンデンサーを使って捨てないようにする仕組みがドイツで考案されたと美濃加茂の Yさんから教えていただいたが、そのためにはコンデンサーが馬鹿でかくなると想像する。まさにスターリングエンジンも廃熱が問題となるため、潜水艦やマリーン船舶には向いているとして、海軍などまでもがこのエンジンを研究した。が、結局少数の特殊な使い道には使われているが、少なくともガソリンエンジンやディーゼルエンジンの代替にはなれなかった。一方、逆サイクルが冷凍効果を持つため、小型冷凍機に使われたり、実際普通の熱機関として使われようとしている分野が有るという(蒸気機関車もこのようなリバイバルがあり得るだろうか?というのがこのページの本来の主旨ですが、まだまだこのように脱線した話題でお茶を濁している)。さて岐阜工業高校の蒸気機関車は、Miniテンダーと、牽引するMini貨車一台に夜店などで使うディーゼル発電機とコンプレッサーを載せ、その圧縮空気で動かしている。それでも機関士以外に10名以上の子供やおとなを乗せて颯爽と走るすぐれもの。さすが工業高校(岐阜県では大変有名な老舗の工業高校で私D51470HPkeeperも昔大変憧れたところ)の取り組みと感心するばかり。何事も初めてやってみるときは、疑心暗鬼になり、手がつけられないものだろう。少々の努力ならいざしらず、大変な予算と労力と機器設備を必要とする。それだけかけて、動かなかったでは済まされない。勢い、萎縮してしまう。
     さて、このMini 蒸気機関車はデモンストレーション用だからこういう実物を圧縮空気駆動しようとすると(?)まさに大変そのもの。簡単に考えよう。ピストンの往時と復時にそれぞれ表面裏面で蒸気の圧力を受けるのに対し、内燃機関は裏側は常に大気圧であるから、蒸気機関の方が同じ圧力なら1回転当たりで倍の仕事をすることになる。さらに、内燃機関の4strokeエンジンと比べてみよう。内燃機関では吸気行程で仕事をしないどころか、部分負荷時には外から仕事さえしてやらなくてはならないときに、蒸気機関では圧力の上がった蒸気をピストンが受けているため仕事をしていることになる。内燃機関ではその後、爆発燃焼して、圧力を高めてから膨張させやっと仕事を取り出すことになる。蒸気機関では締め切り弁が蒸気穴を塞いで、同じく膨張行程に入る。内燃機関ではその後排気行程に入るが、蒸気機関はすぐにまた高圧蒸気を受け入れつつ仕事をする。だから、内燃機関の2stroke分が無い。ということで、内燃機関的に考えれば気筒数は8(2strokeとの比較では4)となる。これにさらに、シリンダーが左右各2個の場合は16(または8)相当になる。D51の場合、車輪一回転で4.5m動くが、そのために作動流体 (蒸気または圧縮空気)を0.6m^3吸い込んでいる。負荷(牽引重量x摩擦係数、斜度、加速度)により必要圧力が決まる。時速50kmとなれば、回転数は200rpmつまり、120m^3/min.の作動流体を吸い込む。まさにお化けコンプレッサーとなる(15気圧に圧縮した作動流体を 1秒で2m^3!定常的に空気を送り続けるとするなら、コンプレッサーサイズは蒸気シリンダー体積と同等、回転数も同じにすれば良い)。
     ここで皆さんの中には矛盾を感じる人が居よう?わざわざ他の動力機関で高圧作動ガスを作って、さらにそれをわざわざ蒸気機関のシリンダーに導入なんて馬鹿げたことをなぜするのか?と。その通り。まるで、燃料電池を使いたいから、水素が必要。水素は温暖化ガスフリー、水しか出さないし、燃費も良いといううたい文句で1995年頃から脚光を浴び始めた。が、私は「燃料として使えるほどの濃縮状態の水素は地上には存在しないので、何かから作るが、化石燃料が効率的だから、温暖化ガスフリーなどと言えるわけがないと別のページで書いてきた。燃料電池のうたい文句「温暖化ガスフリー」の精神に反するこわけだ。その反論というわけでもなかろうが、5年ほど前からだったか、新聞などの解説記事には、原子力発電か、太陽電池・風力発電で作った電気で水素を作って供給するのだという考えがしばしば載ることとなった。が、これこそ愚の骨頂。なぜなら、燃料電池は水素から電気を発生させる装置。おかしいでしょ?電気で水素を作り電気を作る?はじめから太陽光発電の電気を電気として使えば、効率が良い。
     というわけで、いちいちディーゼルエンジンで圧縮空気を作り、それで動力発生ということは馬鹿げている。が、ここはとにもかくも蒸気機関車のシリンダーピストンをそのまま使いたい、蒸気は高温でボイラーが危険、時期機関車の動力機構のデモに、なんとか代替は無いのかという議論と思っていただきたい。すると、実物とほとんど同じサイズのシリンダーを持っているコンプレッサーを必要とするのは当然という次第。
     そんな大きなエンジンとコンプレッサーを搭載するのは機関車以外の部分がでかくなる。高圧ガスを作って溜めておいて、それを吐き出しながら動かしたらどうだろう?
     たとえば、三菱重工名古屋には直径8mの貯気槽で超音速風洞に供給しているが、これを使えば、150m^3になり、15気圧まで蓄えることができるとして、1.1kmほど走れそう。だが、最初だけ圧力が高いけれどどんどん低下するので、実はそうは行かない。もちろん、最初何気圧にしておくかも問題で、平地を走らせるなら15気圧は要らない。それにしても、直径8mの馬鹿でかいタンク、あるいはそれに匹敵するタンクを搭載することは賢いアイディアでは無い。
     この議論の初めは、岐阜工業高校の圧縮空気駆動は可能?という質問に端を発していたが、さすが「やまてつ」さん、既に質問のときにそれなりの概算をしておられて、私は全く独自に計算して上記答えを示したのだが、両者は全くと言って良い合致であった。その「やまてつさん」の結論の言葉は「やはり蒸気のパワーはすごいということですね。そのとおりですね。



  • 汽笛の不思議(06.1.10)
     蒸気機関車が動いていた時代に育った者に、何が最も印象的かと問えば、「しゅっしゅっしゅっしゅっ」という蒸気の響きとか、あの重量感の有る図体だとか、出発時のがガタンガタンという音だとか言う人も居ようが、なんと言っても「汽笛の音」という人が圧倒的に多いのではないだろうか。汽笛は、姿が見えなくてもあちこちに響き渡り、存在感は抜群である。私も子供の頃、地表の温度が下がり音が屈折して地面に戻りやすいような気候のとき、岐阜駅から5kmほど離れていながら、聞いていた。機関車の印象は薄くても、汽笛の音はよく覚えているという人が多いのである。京都の北だったかに住む方が、「懐かしい汽笛の音が聞こえ、いまどき空耳かと疑ったが、何度も聞こえるのでまさかと思う梅小路の汽笛の時間を調べたところ、ぴたりと一致、7kmもの遠くまで市街地の喧噪を通り抜けて鳴り響くことが今さらわかった」といういような記事を読んだことがある。その存在感を訴える迫力は、まさに100dを越える重量以上なのである。
     その汽車の汽笛は「ボー」だと思う人があるかもしれない。が、実は「」である。「「」」は短く、すぐに半音から全音高くなる「ヲー」の部分が長い。このホームページトップに入ったとき最初に聞こえるあの音である。これは出発時の合図。
     危険を知らせるためには「ボッボッボッ」と三回鳴らす。このときは「ヲー」「ヲー」「ヲー」というような音程変化はしない。いや、危険信号だからピッチが早く、音程変化の暇も無いのが事実。ここが本当に知りたいところなのだ。つまり単にバルブを長く引いていれば音程変化まで行くのか、バルブの開け方にコツがあるのか。
     さてどうやら、あちこちでこの汽笛を鳴らそうという動きがあり、実際音を出したというところを聞く。その汽笛の構造は、大昔は単笛だった。それが3つの笛を合体させたタイプになり、最後は5笛となった。ほとんどはこのタイプ。つまり5つの和音を奏でているのだろう。単笛は半音ハーモニカが笛のように単調な音を出すのに比較し、複数の笛からなる音は、全音ハーモニカのように響きが実に良い。全音ハーモニカは一つの音程にリード(振動する板。ハーモニカはそれ自体の固有振動数が音程を決めているが、普通木管楽器のリードは、音の励起に使われるのであり、音程はやはり気柱振動の長さつまり笛の長さあるいは笛の穴の位地で決まり、根本的に違うといえるだろう)が二つあり、それぞれほんのわずか固有振動数を変えているので、うなりが発生し、それがそのハーモニカ特有の音色を生む(という)。これは、ピアノもそうだ。一つの音に一つの弦があてがわれているわけではない。複数の弦を引っ張っている。その前身のチェンバロは、ピアノの前身だから鍵盤楽器と分類することもあるが、音の発生法からは別で、ピアノは打楽器(ハンマーが弦を叩く)、チェンバロはギター同様撥弦楽器である。ギターは一つの音程を発するのに弦が一本、マンドリンは同じ撥弦楽器ながら2本有る。チェンバロは専門家に聞いたところ3本。ただし、撥弦のとき2本か3本か選ぶことができるという(3本はむしろ珍しいという)。そのチェンバロ(クラブサンとか、ハープシコードとか国によって言い方が違う)から Piano Forte に生まれ変わったのは、まさに音が前者では単調に一定レベルでしか出せない(ピックで機械的に引っ掻くので、強さがコントロールできなかった、だからあのようにきらびやかながら、賑やかすぎる印象も持つ) 極大 (フォルティッシモ)から極小(ピアニッシモ)まで弾き分けられる。そのため極大音を出せるように弦を増やしたのだろう。爪で弦を引っかけて、引っ張り下げると、弦の張力が強くなり爪が弦を維持できなくなった段階で弦は自由になり固有振動数で音を出すことになるから、弦を引っかける強さを調整できなければ音量コントロールはできない仕掛け。ギターは人間の指がその強さをコントロールするので音量も自在に変えられる(小さなオーケストラとフェルナンド・ソルが言ったというがそのあたりのことだろう)。ハープシコードのその爪をハンマーにして、人間の打鍵強さを直接弦に伝えることで連続的に音量を変化させられるようにしたからこそ Piano Forte なのだ。当時は、画期的革命として受け入れられただろう。実は弦を複数にすることは、それら複数の弦が同じ固有振動数を持つ場合は単調な音になるが、ハーモニカのリードと同様、少しずらすとそれが音色を生むことになる。もちろん、音色はピアノのフレームや音響版などの構造にも大きく依存する。音色ではバイオリンが有名。イタリアのストラディバリの作品はストラディバリだから作れた面以外に、当時の木版()と気候に依存する乾燥度が程良い松の成長環境を与え、程良い木質を生んだのだという説がある。パイプオルガンも、音程を決める長さが微妙に違うパイプを沢山用意している。音色はそのズレ具合以外に合金(鉛、錫が主に用いられるが銅を使うこともあるという)によるパイプの材質が生む。いやさらに、発音方式により音色は大きく変えられる。ハーモニカやオーケストラのオーボエのようにリードを持つもの、フルートや縦笛のようにそれが無いものがある。一つの音程に一本の弦を使うギターは、音色が単調かというとそうでもない。弦やパイプ長さで決められる基音に対し、その半分でも振動できるがそれを倍音という。さらに三倍、四倍音もある。それら倍音を増やすためにギターは、弦を弾くとき、中央からフレット(駒)付近まで好きなところで弾く。駒付近なら固い音、つまり多倍音成分が多くなる。ギターはだから弾く位置で音色を演奏者が自在に操れるのである。同じ弦を弾くものの、ピアノではできない芸当だ。もちろん、バイオリンは弓の位置で音色が調整できるのはギターと同様。トランペットなどは唇がリードとなって、そのリードの形状を変えられるから音色を選ぶことができる。ピアノは、ハンマーの位置を操作することは製造後できないが、製造前に「このピアノは賑やかなジャズ用」などは、そのハンマー位置で相当決められる。なお、複数弦の場合音色を調整するのに少々共振周波数を変えるということが本当か嘘かについては、新進のピアニストに聞いたところ、調律師に直接聞いた方が正しいことがわかるからと調律師を紹介してもらっているところである。また報告しよう、わかったら。
     さてこうして音色の話しを延々としたが、ピアノの調律以外も素人の考えなので、間違いも一杯有るはずであり、鵜呑みは禁物である。何を今更とだまされた気分かもしれないが、お許しを。
     汽笛に戻るが、複数の笛をを組み合わせることで単調な音から心地よい音色を発生するようにと改良されたのだろう。これは、蒸気を食うので、ボイラーのパワーの大型化にも依存するだろう。
     もし、汽笛が単笛なら、復活は大して難しくはなく、疑似的なミニチュアでも作れなくはないだろうが、多笛だからそれぞれの音程がどんなものだったかを調べなくてはならない。とにかくあの汽笛、力強さを覚える人もいるかもしれないが、私には何とも哀愁が漂う。郷愁という言葉で蒸気機関車のページを興している人もいるが、その郷愁はこの汽笛からではないかと勝手に思っている。単笛ではそうは行かないが、3笛、5笛なら和音を作ることもできるから、長調を基本とする和音か、短調を基本とする和音かで、印象が変わるだろう。短調はじゃ、悲しいかというと、一般に悲しい曲は短調で作られているが、逆は真ではない。ご存知運命交響曲はれっきとした短調 (ハ短調)だし、同じベートーベンの第九交響曲合唱付きというものもニ短調(また話しは飛ぶが、この第四楽章のまさに合唱のなかの「喜びの歌」は誰もが知っているが、そのメロディーはベートーベンオリジナルと思っていたら、実はモーツアルトがミミファソソファミレドドレミミレまでを使っていた)。いずれもむしろ力強い。が、楽しいというのが長調であり、深刻さがあるのが短調と考えれば納得。汽笛が和音でできているとしたら、短調系ではないだろうか? さてその汽笛の発声を小山の方では圧縮空気で試したとか。ジャンク品として汽笛を入手して、トラックの警笛に使っていた人が居たとか。これも、おそらく圧縮空気。
     それでは、圧縮空気で果たして蒸気の代わりができるだろうか?
     音の三要素、大きさ・高さ・音色のうち、音程と音色が出るかどうかが最も大きな問題だろう。大きさはむしろ、現物より小さい方が良い。静態保存しているところは、多くが人の集まるところ。岐阜梅林公園も北側は山、南側は市街地。背面の山が音を増幅する。小山もやかましいと苦情が来たという。
     とにかく、まず音程、つまり音の高さ。ハーモニカと同じリード楽器なら、空気でも水蒸気でも音程はそれほど変わらないだろう。空気なら常温のジェットが当たるが、実物の蒸気機関車の蒸気を導くと、15気圧、200℃ (シリンダーへ誘導する蒸気は過熱するので、350〜400℃ともっともっと熱い)。200℃の違いでリードの膨張率(長さ)とヤング率(固さ)が変化するなら、固有振動数は変わる。高音になると、一般にヤング率は小さくなるだろうから、音程は下がると思われる。
     構造を見ても、リードらしきものは見あたらない。一度分解してみたいが、梅林号の汽笛はなかなか外せないとのこと。だから図を見ているが、汽笛の構造を詳しく書いたものを知らない。
     が、簡単な図を見ると、リードが有るようには見えず、フルートはトロンボーン、パイプオルガンのように気柱振動と考えるのが妥当だろう。もしそうなら、最初の「「」」が「ヲー」と半音変わるのは、当初入っていた空気が最初の低い音を出すか、あるいは後から入ってきた蒸気が汽笛に熱を奪われ冷めて温度が低いから低い音を出すが、すぐに高温水蒸気になって、音速が早くなり高温になるという考察ができる。そう納得してそれ以上調べねば納得だが、実際そうは行かない事実がある。最初示したように、「「ヲー「」」と長い汽笛の後、音が止まる前にまた半音程度下がる場合が有ることが 蒸気機関車の記録映画やTV番組の音で聞くことができる。終わりがけに、音程を下げるような物性や状態の変化は考えにくい。
     その音程はその笛の中に充満する気体の音速と笛長さで決まる音波の往復時間に支配される。笛長さは、作動気体が空気か水蒸気かでは変わらない。水蒸気が高温なので、その温度のために熱膨張する分、長くなり、理論的には低音化するが程度問題としてはあまり変わらないと言うべきだろう。むしろ圧倒的に変わるのが、音速である。その音速は比熱比、ガス定数、温度(絶対温度)の積の平方根に比例する。水蒸気と空気の比熱比の違いは約4/3:7/5=20:21でほとんど変わらない。ガス定数は 1/29:1/18で、大きく異なる。温度は 470 : 280ぐらい。つまり、音速の比は {(4/3x29x470)/(7/5x18x280)}^2 = 1.6となる。つまり、水蒸気のときより、音程が1.6倍低い。つまり、ドーの音ならファ程度に下がることになる。
     ここをクリックしてみてください。トップページで聞こえた汽笛の音程を1.6倍低くしている。
     これでは、汽笛とは思えない。小山の復元では、非常に汽笛らしいとは言えないが、それなりに聞こえていた。また、上述の最後で音程が下がるという事実は、ここでの復元汽笛でも聞こえている。
     汽笛そのものを使って、ほぼ昔の音量を再現すれば冒頭にも書いたように、梅林号は住宅地にあるから、迷惑がかかる。本当は音量を下げたい。あれこれ考えるなら、面倒を省いて電子的に音を合成すれば良いということになる。が、操作バルブは実物を使いたい。上述のように「単に汽笛」「されど汽笛」という深みがある。ほとんど実物の音を再現したい思いは、復元に燃える仲間たちの共通の願い。
     やはり、実物を分解するなりして調べねばわからないようだ。
     もし、みなさんの中に、私の疑問を解いていただける方がおありなら是非お教えいただけないでしょうか?ジャンク品をお持ちで、譲っても良い、あるいは分解しても元に戻して返却すれば良いという方がおられたら、是非お貸しいただけるとありがたいです。



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