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岐阜工業高等学校(2005年11月23日, 2006年9月9日)


 岐阜の県庁所在地は、現在岐阜市にある。ところがその昔、岐阜市の南で愛知県境の木曽川に面する笠松町が候補になったことがある。岐阜と名古屋を結ぶ国道の旧22号線がその町の中心を通り抜けている。名鉄電車もその町を経由している。そこには古い町並みも残されている。
 その笠松に、岐阜工業高校という名門がある。その昔は「笠工」と呼び、親しんだ。大学進学率が低いころは、進学希望者は岐阜高校、就職することになるなら、笠工という風に住み分けていた。脇道にそれるが、一時、このキャンパスに、校舎の無かった岐阜大学が同居したこともある。校舎北にある運動場は、その岐阜大学が仮住まいしたため運動場が手狭になり、岐阜大学学生がその運動場作りをしたという。そのグランドが完成して使うか使わないうちに、新キャンパスが完成して引越になってしまったという。
 そんな伝統の笠工の機械工学科が、授業の一環として蒸気機関車を作った。昭和53年のこと。日本から蒸気機関車が消えて間もないころだった。以下、顧問の先生からいただいた資料を要約して説明する。
 1/7スケール、レール幅200mm。その車輌型式番号は D5178、つまり昭53年='78 から付けられたらしい。別名は「若武者1号」。
 出力3kW、煙管しきボイラー、LPG炊き、目標機関熱効率25%、ボイラ効率55%となっている。弁駆動はワルシェルト方式を採用、機関車が小さく燃焼ガスから効率的に熱を取るため、実物同様、シリンダーからの水蒸気ジェットによる誘因効果を利用している。 完成後、蒸気圧力3気圧、SL速度5m/sを達成とある。過熱もしているが、温度測定ができなかったとあるから、実際過熱効果があったかどうかは判明していないらしい。それでも、過熱できるように仕組まれていたことは特筆に値しよう。
 この1号の製作期間は、わずか6ヶ月だったとある。よく仕上げたものだ。高校の授業だからできた、大学ではこのような時間を宛がうことが難しいだろう。いやそれだけでは足りず、放課後の自動車整備同好会も参加したとある。機械科職員も援助。岐阜大学にはこういうクラブは存在しないし、存在しても、道具や場所の提供がきちんと行くかどうかが壁。大学側が積極的に協力するなら良いが、とくに国立では難しい。もちろん、だから高校は楽だということはできない。予算も必要、それ以上に蒸気機関の熱力学、機構学に精通していることが必要。これは先生方の熱意と努力が有ってのことと推察、敬意を表するばかり。
 それだけでもたいへんだったろうに、1号機で飽きたらず、不満だった点を解消すべく2号機をも作ってしまったという。わずか2年後のことで、こんどは昭和55,6年と2年かかたとある。改善点は、ボイラの労働安全衛生法の適用を受けること、容姿を1号機以上に実物に近づけること、ボイラ圧力を10気圧に高めることなどという。そのボイラー自体は、安全性、必要な材料入手が容易でないことなどから、業者に製作してもらったとのこと。燃料は、プロパンから豆炭に変更。。
 完成は昭和56年11月所定の10気圧も十分安全に運転できたと記録されている。完成年の西暦「81」をとり、D5181と命名されている。期待した5.4kWは得られず、3.5kWだった。

 

 

   私がこのSLを初めて見たのは、岐阜市のかっての繁華街「柳ヶ瀬」商店街の夏のイベントのときだった。そんな古い話ではなく、2005年のこと。さらにその秋、ひょんなことで訪れた、秋の柳津(岐阜市南西に隣接する)での農業フェスティバルにおいてだった。それが上4枚。黄葉した銀杏がたいへんきれいだった。その並木道にレールを敷いて、大勢の子供を乗せ、ひっきりなしに繰り返し繰り返し、D5178が走っていた。
 左は、2006年9月。笠松には女子刑務所がある。工業高校からは非常に近い。その刑務所への進入路を利用してレールが敷かれ、「矯正展」の一環として活躍していた。ここでもあ D5178つまり若武者1号。
 顧問の先生の話では、もはやボイラーの安全性が保証できないということになってきて、数年前からディーゼルエンジンでコンプレッサーを回し、圧縮空気駆動になったとのこと。
 子供にとっては嬉しい乗り物。この学校はサービス精神旺盛で、あちこちからの要請にできるだけ協力するという。だから、顧問教諭はばて気味と。この方、野球の顧問でもあり、掛け持ちなので多くは断らねばならず辛いとも。しかも、協力してくれる学生も、準備日を入れると土日の二日間連続イベントというのも多く、代休はもちろん無いのできついからかわいそうとも。確かに、2006年の実績は、5/5・柳津どんとこいまつり、7/22・柳ヶ瀬夏祭り、7/30・笠松夏祭り、9/9・笠松刑務所矯正展、10/8・各務原市川島地区生涯学習発表会、10/15・笠松町リバーサイドカーニバル、10/22日岐南町ふれあいお祭り、10/28,29・岐阜県農業フェスティバル、10/18,19・岐阜産業会館技能フェスティバル、11/23・やないづふれあいフェスティバル、合計10件、12日、準備を前日からするときもあり、生徒、先生にはとても辛い。よほどのボランティア精神が無ければ務まらない。2005年度は乗車人数が12800人とあるからすごい数になる。、残念ながら、直線しか走れないので、梅林公園では無理だった。
 1号機、2号機の製作から四半世紀を経て、2007年、燃料電池を動力として3号機が作られたという(時代の流れは Mini SLをも巻き込んでいた)。これは、回転半径も小さくすると製作前に顧問教諭は言っておられた。梅林公園でもOKかもしれない。順番待ちとのことなので、今申し込んでおいても何年も先のことになりそうだが。
 つよく懸念される8ことがある。この顧問の先生は、定年を迎えられる。引き継ぐ顧問の先生が、同じことをしようとするとたいへんである。活動は減少するか、複数の先生により引き継がれないと、無理のように思われる。是非、無理なく特定の先生の負担にならず、末永い活動を期待したい。








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