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長野県安曇野市穂高町(2007年4月29日)



 
 ここは、アルプスのふもと、季節によらず美しい山並みに囲まれた安曇野市(20007年、いくつかの町が合併してこの市となった)穂高町にある。戦後の親を亡くした子供たちの生活を描いた有名な映画「鐘のなる丘」(「とんがり帽子」の時計台という歌は誰もが知っていますね)の舞台になったところ。その建物は現存していますが、ひっそりとしたところで、研修施設として使われているため、人は居るけれど、多くの観光客が訪れるというわけではなさそうです。





   山の麓から平野部に来ると、梓川、高瀬川、犀川が流れる。その梓川のほとりには「ちひろ美術館」がある(↑、←)。これらの施設を結ぶ道には「アルプスパノラマロード」「サラダ街道」「安曇野アートライン」などの名前が付けられている。
 そんな景色の良いところに、D51483は保存されている。それは上述鐘のなる丘の建物から東、ちひろ美術館からは北に4kmの位置にある穂高スウィミングクラブの敷地にある。道路からはテニスコートのフェンス越しによく見える。まさに田んぼの中。このあたりの田んぼには道祖心があちこちに見られる。この機関車から50m程度東にも、最初の写真の通り。
 小倉で製造されたこの機関車は、最初熊本で活躍、戦争直後の昭和19年から広島で活躍していたため、原爆の灰を浴びていると記されている。4年後の昭和23年に北海道岩見沢に渡り、小樽港に移り最後は滝川機関区に配属され昭和51年に配車。昭和52年、町おこしでここに設置されたとのこと。

 
 一見したとき、それまでに持っていた「荒廃」というイメージは消えた。しかし近寄ってみると、塗装の悪いところも目立つ(例:↓)。テンダーの後面のナンバープレートは逸失したままになっている。キャブ内には入れるので、入ってみた圧力計は全滅状態。火室扉は開いていたし、レバーには鎖もかけられず、一見動くのかと思ったが、両扉ともに溶接固定されていた。

 

 

 



   キャブに入ってすぐ気になるのは、ほとんどの圧力計が損傷していること。配管から先にとりつけられていたはずの圧力計が無くなっているものもある。
 逆転ハンドル、加速レバーは動きそうだったがやはり溶接して動かないようにされていた。機関士席の上にとりつけられているスイッチ類はかなりそろっていて、塗装もされていた。天井板も本来は同じ色に塗られていたと思うが、それは塗られていない。おもしろかったというと誤解されそうだが、興味深かったのは機関士、機関助士のいす。これは実に新しくなっていて、見学客が座ったときの便利を考えているよう。この椅子の色は本来天井に塗られていた色と似ている。手すりもきれいに仕上げてあった。その椅子の下には両方ともに何か鉄製の四角い箱のようなものがあり、大きめのパンチ穴が開いた板でできている。これは最後の所属が北海道だったので、おそらくヒーターだろう。
 ここは写真でわかるとおり、屋根が無い。設置から30余年、風雪に耐えてきた。とくに雪の害については、梅林公園のD51470を守る会の中原会長が述懐されるように、岐阜ですら一回降って屋根につもると10日ぐらいは天気が良くてもぽたぽたと滴がボイラー下まで落ちてくる。カバーは雨を蓄え錆を進める。ランボード下も錆が進んでいる。岐阜より条件が良いのは、酸性雨が降らなかったことだろう。そのため、錆の進展状況は岐阜と比べ多いとはいえ、雪に覆われた期間の割には、少ないと言えよう。
 あとからわかった(上伊那・辰野の保存会の方から聞いた)が、ここの保存会は小学校の子供たちも入っていて整備活動しているとのこと。その指導をしている大人会員の一人が、辰野・荒神山のD5159の保存会と掛け持ちとのこと。その方は、ご家族が機械加工関係の仕事をしておられるので、修理などは技術が有るとも。ならば、椅子もそんな技術で作り直されたのかもしれない。



 

 

 








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