Top Page | 1. 梅林号 D51470 | 2. 蒸気機関車の日常 | 3. 元蒸気機関士 | 4. 今の技術なら | 付1. リンク | 付2. 近隣の保存車輌 | 交流板 |
1.三線廃止前後 | 2.美濃町線終点・美濃駅 モ512など |
3.岐阜市金公園 モ513 |
4.谷汲線終点・谷汲駅 モ514など |
---|
SL工房のNakazawaさんから提供を受けた。小学校の頃撮影したもので、詳しい撮影年月日は不明とのこと。小学生で、こういう写真を残せるのは、さすがSL工房さんですね。?? |
←、↑:岐阜市の東の名鉄各務ヶ原線で名鉄岐阜駅から一つめの駅の少し東に市ノ坪車庫がある。そこに安置されていたモ513が、金公園に静態保存のため移動搬入される。2006年5月26日、搬送車に載せられた。27日早朝出発して3km程西の目的地行くことになっている。それを知った鉄道好き(本当はSL大好きという人)Y.S.さんが駆けつけたところ、残念ながら台車に載せられてしまっていたとのこと。 車両は本体と台車二つ、パンタグラフに分解され運ばれた。 |
搬入は、公園の西側で金(こがね)神社との境にある道路を使わねばならない。しかもそれは市営駐車場への入り口となっていて、途中まで。そこで降ろして本来の保存場所まで仮設レールを敷いてどうやら人力で押しての移動らしい。あるいはロープで何らかの動力に結んで引くのかもしれない。この写真はその進入路まで入ってきたところ。→に見える石の構造物はそれに面する「金神社」の正門石垣。 |
↑↓:このレール、設置のための臨時のもので一部は取り外されるが、ゆったりとした余裕を持って残される。とくに写真左の直線部は30mほど余裕を残し、イベントのときには人力綱引きなどを催したいと、保存活動中心メンバーの方の弁。実は元岐阜大学の教員の息子さんで現在岐阜高専で教鞭を執っておられる方の話。 |
なぜか金神社側から撮影している人はほとんどいない。 | |||
これらのアングルでは見物客が居ないように見えるが実は大勢いる。危険なためロープが張ってあり近くに行けず、私の左右に横並び状態。なお、27日は移動設置までで、お披露目は後日。フェンスなど整備してからとのこと。屋根がもうけられるとは聞かなかったが、右写真でわかるように、すぐ北に神社があり、森の中という雰囲気が屋根が着くと壊れるだろう。保存には屋根がありがたいのだが、無理ならこまめに整備して長く保存しなければ・・。いや、やはり屋根は着き、その工事終了後お披露目だという。 |
フェンスは運搬後作られつつある。フェンスが無いと、勝手に車内に入る人が出てきて収拾がつかなくなることを恐れてと思うが、こうしてビニールシートでしっかりと覆われている。 左の夜景は、この電車がいつも走っていた徹明通り。正面左に道路案内板が見えているが、そのあたりが神田町通りとの交差点で、かってのにぎわいの中心だった。ずっと先が関、美濃方面、ただし、写真に写っているレールは右折して名鉄岐阜駅方面に行き、美濃町セントは直接つながっていない。後方は、いずれ忠節駅経由で谷汲駅や揖斐駅に向かっていた。 金公園は、撮影位置から見て右方向200mぐらいのところ。 |
岐阜市長(最上段左)も招いて、盛大にお披露目が行われた。その右の写真は、保存運動を先頭に立って成功させた、広瀬実行委員長。二段目左右とも、運転席に陣取るのは細江市長。写真は上記末波さん提供。 このフェンスが閉じられると、あとは一ヶ月に一回の公開日だけ、市民が電車内に入れる。金公園は梅林公園のように常駐の管理人が居るわけではないので、毎日公開というわけには行かないのだろう。付近には定まった住居を持たない人たちも居る。犬、猫も居る (北側に面する金神社には放し飼いのチャボが居るが、ここまでは遊びに来ない)ので、常時開放はできないのだろう。D51470は、条件の良い公園に保存されている。もちろん、人出では金公園のほうが圧倒的に多いのだが。 |