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1.三線廃止前後 2.美濃町線終点・美濃駅
モ512など
3.岐阜市金公園
モ513
4.谷汲線終点・谷汲駅
モ514など


岐阜市と近隣を結んでいた路面電車

3線廃止前後

  • 2005. 5. 3





     その電車を使って廃線前だったが、綱引きで一定距離を移動する時間を競う大会が市ノ坪で開かれた。
     
    一方で、名鉄岐阜駅発で市ノ坪横を通って関方面に向かう急行が、徹明町から来る軌道と合流する競輪場前を、長年の利用にお礼の張り紙をして運行していた。



  • 2006. 6. 3

     電車が走らない徹明町の交差点。レールは車が通るのでぴかぴか、あたかも電車が今も通っているかのように。徹明町交差点から少し東に、新関駅への普通電車の始発駅があった。また、徹明町交差点から北に向けて、20年ほど前は長良北町までの路面電車も有った。さらに昔には、それが高富まで伸びていた。この写真右上方向にはレールがないように見えるが、実際は有る。アスファルトの下に。これは18年ほど前岐阜市長良川北を会場として開かれた未来博の際、北町までの市電が撤廃となり、レールはいつでも復帰できるようにと剥がさずアスファルトで埋めてあるから。
     
     徹明町交差点から300mほど西(この先に忠節駅があり、そこからは揖斐線、谷汲線が出ていた)で撮影。この位置はモ513が保存されている、金公園横の道路(JR岐阜駅北口から、玉宮町通りを経て公園横に来る)が、さらに北進しており、徹明町通りを横断して柳ヶ瀬に至る道)の北200mほどになるが、写真はその徹明通りを横断する位置で撮ったもの。やはりレールは使われていないが、タイヤでぴかぴかに磨かれている。写真の奥方向が徹明町交差点、さらにその先は関・美濃町方面。

  • 2006. 8.16

    国道156線から258線が交わる地点手前の、156号線沿いに敷かれているレール(岐阜方面を見る)。ぺんぺん草が生えている。レールは真っ赤にさびている。(06.08.16)

    このレールは、少し北で156号線から離れて258線に沿って関駅に向かう。この先のその離れ際からは除草剤が撒かれ、赤くさびたレールがむき出しになっていた(関駅方面を見る)
     

  • 2006. 9.10

     役目を終えて1年半の関駅。レールは当然真っ赤にさびている(06.09.10)
     
     関駅からわずか数十b南の交差点から岐阜方面を臨む。



     工事の説明のための看板。どうやらラッシュ時を除く昼夜の時間帯に行うらしい。でも、この位置で3月末まで工事ということではないだろうし、私は9/10夜、工事中の写真を撮ろうと深夜11時ごろ、この東1kmから、西2km程度を探し回った。が、何もやっていなかった。ほんのときどき工事というのなら、かえって迷惑と思うのは、私だけ?
     
     とくに雨の日は気を付けてもらわねばならない? たしかに私もレールの上を走ることがあるけれど、スリップしやすい。先日も目の前で他の車が急な割り込みをしてそれを避けようとした車がスリップ、90度ほど回転した。対向車があれば事故だった。でも遵法運転していれば、まずそんな危険は無い
       この付近、徹明町交差点は国道156号線(金沢まで)の起点でもあり、その西は徹明町、東は金園町1丁目、その西へ2,3・・丁目と名付けられている。金園町1丁目付近でこの道路沿いの部分を1番街と名付けているようで、歩道はアーケードになっており、屋根の下に街灯(写真下)が一定間隔で取り付けられている。まさに、その交差点を起点としていた美濃町線をデザインしたもの。今となっては哀愁がただようばかり。(05.11.06)

    このあたりの店の多くが、廃線になる前からシャッターを下ろしている。下の写真は、日曜日(06.09.10)のちょうどお昼時の風景。30年前ならここはごった返すとまでは言わないまでも、大変なにぎわいのところだった。この徹明町駅は、岐阜から東の市内ベッドタウン、関市、美濃市への玄関口となっていた。徹明町で降りると、そこには当時としてはしゃれたデザインの丸宮百貨店があり(今は名鉄系メルサ)、交差点から200mも行けば丸物百貨店(のちに近鉄百貨店となり、今は中日新聞社ビルに変わった)があり、丸物百貨店の玄関側は柳ヶ瀬通となっていた。柳ヶ瀬通もかっての賑わいとは雲泥の差。



     9/8夜に6mほどレールを切り出したという。9/9の夜、工事中なら写真を撮ろうとでかけたのですが、どこでもやっていませんでした。写真は、工事後の道路(道路の向こうのバス停は、徹明町駅)、工事を知らせる看板(二枚目、三枚目)です。
     
     左の写真と同じ位置で昼撮影した。こんな狭い領域を剥がしてどうするのか疑問? 小部分で何かの確認作業?


  • 2006. 9.30

     
     

     
     忠節駅付近。左上:忠節橋から忠節駅へ左折、レールはここで路面から専用へと変わる。当然、ここは車がレールのさびを落としているので、ぴかぴか光っている。上中央:忠節駅西最初の踏切。ここのレールも光っている。左下:その踏切から忠節駅方向を見る。レールはさびている。中央上:その踏切から西(谷汲、揖斐方面)を見る。こちらもぺんぺん草状態。:同じくその踏切から再び忠節駅方面を見る。コンクリート柱は、架線を吊っていたもので、今は張り出していたアームも取り払われ、しばらくレール横に置いてあったが、現在はそれも片づけられた。


  • 2006.10. 3
     ついにレール剥がしが本格化。これは10月3日、徹明町交差点から西へ100mほどのところ、夜11時頃。この前にレールと道路のコンクリートは切断して準備済みだった。そのブロック割りに従って、ショベルカーが一枚一枚切り込み位置で引っかけて引っ張り上げ、剥がしていった。ブロックごとにフック付きネジを取り付け、クレーンから下げた4本の丸輪のついた太い撚り線ワイヤーを取り付けて引っ張り上げ、待機する大型トラックに乗せて行った。10月はじめにしては寒かったことが原因かもしれないが、見学者は意外に少ない。電車自体の追っかけさんは万と居たが・・。

     

     

     

     


  • 2006.11.17


     しばらく音無の構え状態が続いたが、ふたたびメインストリートでの撤去作業が始まった。以下は、神田町通り・金宝町交差点より北の夜の様子。やはり11時頃で寒い。写真を撮影していると、岐阜ではないところの会社員風の男性二人連れが「レールをどうかするんですか?」と質問、「はい、実はもう電車が走らなくなって1年半、復活運動も有ったのですが、それも叶わずとはっきりしてきて名鉄もそういうところへの遠慮が不要となったということか、県や市がどうせ剥がすなら雨では特に危険なスリップ事故を防止するため撤去を早くと要請していたためか、本格的に作業が始まったようですよ」と答えた。すると、「そーですか、残念ですね、しっかりと写真の記録残してくださいね」と立ち去って行った。やはり、見学者あるいは写真撮影者は全くみかけない。これからいくらでも見られるということもあろけれど

     

     

     


  • 2006.12. 2


     徹明町交差点より東方向、つまり国道156号線で徹明町の次の駅付近で撤去作業が始まった。これは、D51470の静態保存されている梅林公園の南で、駅名も梅林公園。この少し東で複線が終わり、単線となるがそこまで工事は進んでいない。いや、この梅林から西も徹明町交差点の少し東までは残っている。なぜかあちこちとびとびに工事している。スリップ事故で危険なところから剥がすとされていたが、どうやらそうでもないらしい。忠節橋北もカッターは入っているが、レール撤去作業はされていない。こここそ、冬になれば凍結してレールと合わせてスリップ事故が多発していそうなところ。橋上の交差点は剥がされている。

     

     









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