Top Page | 1. 梅林号 D51470 | 2. 蒸気機関車の日常 | 3. 元蒸気機関士 | 4. 今の技術なら | 付2. リンク | 付2. 近隣の保存状況 | 交流板 |
第1章 データ | 第2章 誕生〜廃車 | 第3章 梅林公園展示〜20年 | 第4章 さらに 6年 | ||||||||||||||||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
|
付1. 今後の予定 | 付2. 顔ぶれ | 付3. 見学者 |
---|
保存会の発足は意外に新しい。逆にそれまで、中原さん一人に頼り切っていたということになる。が、会が発足し、まず広報活動がスムーズに進むようになった。副会長の一人、名古屋のA.Yaさんがその方面を活発に進めているからだ。春日井保存会(会長の中原さんはもともと会員)との交流も活発になり、さらに2004年夏頃より、春日井保存会所属のニックネームが「春日井のつばめ」「きた」さんを中心に化粧直しが始まってからは、補修作業に磨きがかかるようになった。以下は、新しい順に記録の形で掲載しよう。 |
作業は、3時頃から。えすえる工房Nさんはいつもどおり、予熱器、煙突のバンド磨きに余念がない。 煙室扉のロックハンドルに大きなしめ飾りが掲げてある。会長が購入されたもの。4500円と聞いて、豪華感が一層増した。 春日井のつばめさんは、国旗掲揚役。自分で作ったポールだからということもあるけれど、やはり主役が似合う。 会長は、ずっとナンバープレートに取り組んでおられる。公式側機関士運転席窓下、非公式側機関助士席窓下のナンバープレート、テンダーのナンバープレートは、元ブリキ職人だったという方が、器用に作られたのは前報のとおり。正面もその方が臨時で作っておられると思っていたが、会長が再び挑戦しているとのことだった。真鍮版も、元ブリキ職人の方の厚さほどないため、やはり凹凸ができてしまうとこぼしながら、最後の仕上げに余念がない。なお、上述しめ飾りは、この元ブリキ職人だったという方が今やっておられる花屋さんで購入されたという。お世話になったので、今年はそこで購入したと。 はてにゃんさんだけは3時でなく2時に来て、シートのビニールシートがけをやって、3時には私用で現場を離れ、5時半に子連れで戻ってこられた(写真)。子供を自宅に送ってから、また戻って来られた。 |
HPkeeperは、写真撮影班。 上述、会員ではないが来て居られる方が写真撮影をされる様子をみてえすえる工房Nさんが、「前照灯の電気が点いた方が良いね」というので、準備。タイマーを外し、明るさセンサーを黒いもので覆う。ついでにイルミネーションも点灯。 旗が掲げられたところで、発煙筒による煙演出準備、やはり煙が無いと記念撮影もイマイチ。 そうこうするうちに暗くなってきた。記念写真を撮るのに、照明不足とえすえる工房Nさん。DIY店で買ってくると、決めたらすぐ行動。自分のポケットマネーで購入、今後いつも使えるから、寄付して置いておきますとのこと。キセノン球だから、電力の割に明るい。色温度も高いので、写真写りは普通の白熱電球より良い。もちろん、ディジタルカメラが主流で、色温度補正すれば、同じこととは言えるけれど。 最後に一斉集合写真を撮る。その後、えすえる工房Nさんとその仲間、春日井のつばめさんは、夕食を一緒にと飲み屋さんへ。会長、はてにゃんさん、HPkeeperはそれぞれ自宅へ。 こうして、正月を迎える準備を終えた。 |
枠が問題としていたが、その枠も作ってあった。近所の花屋さんが以前はこういうものを作っていたとのことで、作っていただいている。その枠は4枚の部品から作られている。つなぎ目は、角ではなく角を曲がった平行部分でされている。よく見ると、反射の加減で継ぎ目が分かるが、遠目にはわからない。正月には、別の計画で見栄えの良いものを飾ることにしていたが計画が遅れている。花屋さんに前照灯下の正面のナンバープレートも作っていただくことになるだろう。当初は遠慮しておられた花屋さん、14日も枠だけは作ってあった(←のとおり)。23日には全ての文字部分に何か貼ってあった。暗くてよくわからなかったが、おそらくそこも他の3枚同様、文字も真鍮板が貼ってあるのだろう。そなると、テンダー後方のプレートの枠が残されていたが、そこも仕上げてあるのか、確認するのを忘れた。 |
これは、連結が500球までできるタイプ。なのに、電源無しのLED球だけのものは置いてない。しかも、橙、赤も置いてない。この店で無理に全体像を作り上げる必要はない。じっくりと作れば良い。今年は少し、来年は新たな考えで増やす。だんだん成長させてゆけば良い。 そのミックスを使って、どう作り上げるか、はてにゃんさんに、ベニヤ板い機関車の形に仕上げてください、子供二人のアイディアを入れてと提案。午前中はそれで別れた。 昼食後、機関車でどうそれらを取り付けるか、配線をどうするかを考えた。そして、小さな機関車のイルミネーションはキャブ機関士席、機関助士のナンバープレート下と決める。また、ミックス色のLED10mは、機関車のボイラー上に取り付けるか、はてにゃんさんの作品を期待するかだと思った。が、はてにゃんさんと別れるとき、無理を言ったかもしれないと思い、機関車の上でも良いですよと、メール。 はてにゃんさんもそれに同意。電源は、タイマーを使わねばならない、それで春日井のツバメさんに、相談。結局、キャブ内のタイマー制御(市役所の条件)夜間照明用電球を外してそのネジを、コンセントに変換するアダプターをねじ込み、そこへ二股コンセントを取り付け、一つは屋根のLED用、もう一つは二つの小さな機関車用、ここから一本のコードで引き出し、キャブ下で二つに分ける。 はてにゃんさんに、それらの部品購入を依頼、暗くなり始める4時半に集合することとした。 4時半、先ほど決めた通りに作業開始。できあがったのが、下の写真。 |
このシーン、実は修了証をすべて渡してから、写真を撮っていないことに気付いて、やり直したところ、いわゆる「やらせ」。すでに帰った人も居て、人垣が少なくなってしまった。 |
今日は、蒸気機関車の話ではなく、まつわる話題。 用有って、岐阜市消防本部にでかけた。その一階に古い消防ポンプが2台置いてあった。その一台は明治のもの。しかも「蒸気ポンプ」と説明用看板に書いてある。が、説明ではそのポンプがどれほど高いものだったかを示すデータしかない。いや、私には、東京都知事がいかに高級取りだったか、古き良き(悪しき)明治!という印象。なお、岐阜市の有名な長良川の鵜飼の実演現場は長良橋すぐ上流、一方そのすぐ下流は昔古川、古々川と何本もの川に分かれ、当然その間には島があった。その島には住む人もあったほど大きなもの。その名残で地名に島という名が有るほど。もとを正せば、濃尾平野の北部のことで、長良川が扇状地帯を作ったのだからそういうところが歴史的に有るのは当然のことではある。それを昭和14年に現在の形にし、堤防を締め切った。それまでは台風、豪雨のたびにそれらの川が一本に成るほどの濁流、豪流で氾濫した。 |
それをオランダ人土木技術者デ・レーケがプランを立てて改修。堤防を築き、納めた。ずっと下流では江戸時代、やはり長良川の洪水で悩まされていた安八郡平田町あたりを、薩摩の経済力を削ぐ目的で、薩摩武士に堤防を築くよう幕府が命じた。そして、大変な努力、長年月をかけて完成させた。しかし、あまりに大勢の犠牲者を出し、幕府の思い通り、薩摩の財政を破綻寸前まで追い込んでしまった(事故でではなく、幕府のやり方に耐えられず割腹自殺が多かった、ほかに、夏酷暑に耐えられず生水を飲み、赤痢で死亡など)責任をとって、総指揮をした家老・平田靱負は自害して責任を取った。
昭和の改修工事は人海戦術ではなく、蒸気エンジンが投入され、トロッコにより土を運んだ。でも、今から思えばやはり、人海戦術? 1937年の支那事変より一年前に開始、第二次世界大戦開戦前の1939年に完成している。 岐阜の住民は、こんな古い時代に蒸気エンジンの恩恵を受けていたこと、ほとんど知らないと思う。蒸気ポンプについては、私も知らなかった。 なお、東京都なども、この蒸気ポンプを輸入したらしいが、ところによっては、それまでの腕式ポンプで糧を得ていた消防士の職を奪うということで、使わなかったとか売り払ったとかも有ったらしい。 |
Top Page | 1. 梅林号 D51470 | 2. 蒸気機関車の日常 | 3. 元蒸気機関士 | 4. 今の技術なら | 付2. リンク | 付2. 近隣の保存状況 | 交流板 |
第1章 データ | 第2章 誕生〜廃車 | 第3章 梅林公園展示〜20年 | 第4章 さらに 6年 | ||||||||||||||||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
|
付1. 今後の予定 | 付2. 顔ぶれ | 付3. 見学者 |
---|