Top Page | 1. 梅林号 D51470 | 2. 蒸気機関車の日常 | 3. 元蒸気機関士 | 4. 今の技術なら | 付2. リンク | 付2. 近隣の保存状況 | 交流板 |
第1章 データ | 第2章 誕生〜廃車 | 第3章 梅林公園展示〜20年 | 第4章 さらに 6年 | ||||||||||||||||||||||
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付1. 今後の予定 | 付2. 顔ぶれ | 付3. 見学者 |
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保存会の発足は意外に新しい。逆にそれまで、中原さん一人に頼り切っていたということになる。が、会が発足し、まず広報活動がスムーズに進むようになった。副会長の一人、名古屋のA.Yaさんがその方面を活発に進めているからだ。春日井保存会(会長の中原さんはもともと会員)との交流も活発になり、さらに2004年夏頃より、春日井保存会所属のニックネームが「春日井のつばめ」「きた」さんを中心に化粧直しが始まってからは、補修作業に磨きがかかるようになった。以下は、新しい順に記録の形で掲載しよう。 |
写真上・30名弱の春日井忘年会。実際の会員はもっと多いが、年の瀬の日曜日で、全員というわけには行かないようだ。それでもこれだけ集まると、圧倒される。 写真右。レトロ調に仕上げた(SL工房Nさんが)写真。中央のD51470を守る会会長のほかは、皆庫内手格。石炭をたいたことも無ければ、ましてや運転などありえない。でも、服装は一人前の機関士。みな「弥生機関区新人機関士」と、悦に入っている。確かに、それらしい雰囲気になっている。機関助士では?といいたいが、重労働のうえ熱射にさらされるにしては、少々栄養が良すぎの写り。左端・やっさん、右端・SL工房Nさん、その左・きたさん。 |
その後本来の作業、つまり汽笛のバルブ外しにかかった。何度挑戦しても外れなかったもの。前回5月にやまてつさんが来られたときも挑戦したのだが無理だった。そこで今回は堤防などの枯れ草を焼くときに使う強力バーナー二台で焼いてみることになった(やまてつさん持参品と、つばめさん急遽購入品)。写真上はその様子。やまてつさんと、春日井のツバメさんが交互に焼いたり叩いたり。そんな作業をしているとき、名古屋からきたさんが駅に到着とい電話。つばめさんが、車で迎えに。その間、HPkeeperがやまてつさんの手伝い(足手まとい?)。そうこうするうちに、ついにねじが回ったかに見えた。もし回るなら、感激は功労者のつばめさんい味わってもらわねばと、待つことに。そして戻ってきたつばめさんに、巨大レンチレンチを肩で押してもらうと、ぐるりと回った。順にねじを回して外していった。が、キノコ弁がはずれて来ない。そこで皆で昼食にでかけた。 その後、SL工房のNさんが到着。さらに、会員のWさんも登場。午後になって、それも外れた。作業再開で、ねじ山をさらえたり、あの手この手で挑戦。サンダーがけをする山鉄さんの横で、汽笛下部を掃除しているのは、機関士制服姿が似合う、きたさん。SL工房Nさんは、余熱タンクや煙突の心中バンド磨きに余念がない。3時ごろになって、Wさん、つづいてHPkeeperは所要で帰宅。写真、砲金の鋳物製汽笛上部(5室部分)を磨いているのは、会長。その横の日の丸は、正月用に注文する国旗。これまでのものは少々小ぶりなので新調。会長と、SL工房のNさんのこだわりが反映されている(現物あわせで注文)。 右は。寒くなってきて会長が帰られる前の集合写真。 このあと少々作業の後、9日の記録で示したように、春日井に移動してやっさんも加わり「顧年会」。 |
SL工房のNさんが夕方来ますと以前連絡してこられた通り、短時間ながら活動、以下はそのご本人の作業報告です。 「現地に着いたのは17時頃でしたが中原さんがおひとりで塗装に励んでおられまし た。私もわずかな時間でしたがいつもの正面給水温め器の飾り帯を磨いてきました。私の訪問はおおむね1ヶ月に1回くらいなんですが1ヶ月するとやはりくすんでしまうんですよね。多くの皆さんが写真を撮ってくださいますがやはり正面にはカメラの注目は必須でしょうから綺麗にしておきたいと思ってます。そして中原さんと煙室ハンドルも磨きました。根気よくピカールで磨くと美しくなりますね。中原さんも私も大満足です。 丁度仕上げた頃、梅林公園の上の宿にお泊りになった若いカップルの方々がD51470号機を見に来てくれました。聞けば四国からお越しになり長野にご旅行とか。遠いところからお出かけになりお疲れのところを470号機をご覧いただきありがとうございました。中原さんのご説明で蒸気機関車により関心を持っていただければ嬉しいですね。」 |
煙突装飾金帯の取り付け、さすがきりっと引き締まる。 |
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左:移動開閉器のペダル取り付け。右:いつもながらの、作業修了時記念撮影。 |
中:珍客、本当に機関車の側面など、鉄製の黒色部にはいろいろな昆虫が訪れる。右:完成した釜自動開閉器、残念ながら写真では動きが見えない。 |
ここは連結状態の客車がある。我が会長は以前も書いたが「ある見学生徒が、お客さんは何処に乗るの?」とテンダー車や管胴を指さした、実物の客車があれば非常に理解しやすいのだが・・と機関車とテンダー車しか無いことを残念がっておられら。ここはそんな心配は無い。しかも機関車も客車も設置場所の蒲郡市郷土館が開館時は上って見学できるらしい。 |
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集煙装置の後ろにリンク機構が判別できるが、それは機関士席のハンドルにつながっている(圧力計の高さに位置するが、この写真では判別しにくい)。梅林号はこの集煙装置を装備していないから、ハンドルも無い。 | ||
機関士側窓下のプレート類。一番左の大きいものはよくできた木製とのこと。写りが悪いがこの部品、201のものではなく転用されたものらしい、よくある話。 | ||
博物館の一階北側(静態保存車D51201に近い)の廊下では蒸気機関車に関する写真が展示されており、そこの研修室らしきところでは、動く鉄道模型が二セット置かれていて、大人も子供も楽しんでいた。 |
つばめさんは、前回うまくはずれなかったキャブ下からバルブ構造物の取り外し方を、春日井の保存会メンバーに実際整備を本職としていた詳しい方がおられるので、聞いてきたとのこと。キャブ下で分解するより、バルブ全体をはずして作業した方が良いとのサジェッション。前回も書いたが、キャブ真下で車輪の間から入っても(写真上中央)、わずかな穴から手をさしのべて作業しなければ届かない。取り付けボルトをはず前に、作動用のガス配管を入・出用合わせて二本をはずす必要がある。それが大きな袋ナットで取り付けてあって、それに合うレンチは大型のモンキーしか持ち合わせがない。それはキャブ下からでは、袋ナット部分を挟むことはできても、力をかけることは全くできない。そこで、外から体を入れて、つばめさんが支えるモンキーレンチの柄(下左写真)の先部分をハンマーで叩くことにした。何度か試すうちに、動いてくれた。さび付いていたら、ガスバーナーで加熱するなどの手間をかけねばならないところだった。もう一つの袋ナットは、同じ機関士側からだとハンマーを下から上に叩くことになり、これはただでさえ腕を伸ばた状態であり、全く力が入らない。そこで機関助士側の同じ位置から手を差し込むしか無い。が、バルブ位置は右手で石炭用スコップを持ち、左足でバルブ操作という姿勢を前提にして作ってあるため、機関士に近い位置になっている(8/16のを写真参照されたい)。だから、ほとんど腕を伸ばしきった状態で手首だけを使って重いハンマーに衝撃力を与えねばならない。からだをねじ込んで、腕をいっぱいいっぱい伸ばして数回トライして何とか回り始めた。だが、私の右肩に妙な感じを覚えた。普段使わない腱が精一杯伸びたときに発生する妙な「ギシッ」というような感覚のものかと思っていた。今それはしかし、私の過去の履歴によるのではないかと思い出した。以前年にもかまわず若い人たちとの運動で、足場が砂地であり急な駆け出しをするとすべる状況だたにもかかわらず、若いときのイメージ(12.秒/100m)で走り出した。ソフトボールで打った直後ファーストベースへ一目散に加速するときのこと。案の定足が滑り反対の足で支えたが抵抗はそこまでだった。それで素直に転べば良かったが、今度はさらに昔の中学校のときの体操部の記憶がよみがえった。ここの段階ならまだ前転の余裕がある。前つんのめりになって手で衝撃を吸収するのは、この速度になっていたら、負担に耐えられず手首骨折もありうる。ここは運動エネルギーを回転エネルギーに変えられる、前転するのが良いという考えが咄嗟にうかび、それに従った。ところが体は硬くなっていて、昔ならその姿勢で前転できたろうが、支える筋力にしては姿勢がすでに低くなりすぎていた。肩が地面に入り、肩胛骨と鎖骨を接続する腱が切れた。スポーツ医学のドクターに診てもらったところ、「手術して治すかどうかは、今後力仕事をするかどうかにかかわる、デスクワーク中心なら問題ない。下手すると肩から上に腕を上げることが難しくなる場合もあるが、そのときはそのときに手術しても遅すぎることはない。どうします?」ということなので、切れたままにしてある。そんなことは忘れてしまっていた。だから、その腱は使えないので、他の筋肉などを使うこととなり、妙な音のような振動のような感じがしたのかだろうと想像している次第。ちょっと個人的な話に深入りしすぎた。で、袋ナットは無事二つ外れ、あとは、ボルトはずし。 つづいて4本の取り付けボルトをはずす。ボルトはキャブから4本差し込んであり、バルブはそのボルトにナットを下からかけることで固定されている。したがって、キャブでは大きなマイナスドライバーが必要で、下からはソケットレンチでナットを回すことになる(写真左上)。大きなマイナスドライバーが無いので、つばめさんが間に合わせで他の道具を削って作成。なんとか全てをはずすことができた。 9/6に6枚張りなおして調子を試したキャブへの見学客用階段上がりばなの人工芝を、さらに13枚張り替え作業(一枚半端。10年ほど前の現在張ってあるものと、今売られているもののつなぎあわせが合うかどうか試しに一枚購入、ぴたりと合うことを確認して一箱18枚を購入したため、奇数になった、今度一枚追加して見栄えをよくしよう)。張り替え終了後は、そこで寝ころんでも背中が痛くない「ふわふわ感」を試した。 |
撮影後、5時頃になって、梅林公園で中原会長も含めて合流。そこでは、ヘッドライトを点けて煙を吐くD51470の撮影を皆で行った。左は、そろそろ夕飯時ということで、公園に捨てられた猫たちが、餌を与えに来る人が居るようで、私たちの声をそれと思ってか、集まってきた。前にも書いたが、ここに捨てられる猫の多くがリッチな人が飼えなくなって捨てたらしく、毛並みの良い猫が多い。下右端は、記念撮影。春日井のつばめさん、SL工房Nさん、会長、導入時の写真提供者Sさん、SL工房Nさんの友人、HPkeeper、この写真のみ、SL工房Nさん提供。 |
が、キャブ内にあるペダルを踏むとその動きをバルブに伝えるロッドが、戻ってこない。バネが痛んでいるのか、ロッドに砂でも噛んだのか?ツバメさんは、機関車の下に潜り込んでそのロッドとバネを下から受けているボルトをはずせば、修理可能だろうとレンチで回してみたが、どうにも動かないという。次回は、レンチの腕長さを長くするパイプを用意、それでもだめなときには加熱するためバーナーを使ってみる、との弁。右の写真、蓋の下左にある穴が、バルブ操作のペダル。蓋がはずしてある。上2枚は、ツバメさんがキャブとテンダー車の間に入って、手を伸ばして釜蓋操作バルブの取り付けねじをはずそうと努力しているとこと。それではどうやら無理ということで、左の写真は下に潜り込んでねじをはずそうとしているところ。やはり動きそうにないとのこと。 一方、私の担当の疑似汽笛はあいかわらず、難しい。太い塩ビ管でパイプオルガン状の吹き口(空気に剪断を与える部分が平らで、ノズルも平たく作りやすい形状)を作ってみると、単純なものより良い音が出ることがわかった。今度は電気機関車のように剪断を与える部分は円筒下部全周とし、ノズルもリング状に作って試したい。やはりこれが一番、効率的に低い音が出せるかもしれない。とにかく、倍音が簡単に出ない構造を見つけねばならない。。 |
朝から雨。でも、ときどき上がったり、降り出したりの落ち着かない空模様。春日井のツバメさんとSL工房のN(写真左)さんが少々作業されたと、中原さん。この日はテンダーテールランプ・ヘッドランプ類の電源コードを本来のパイプ内に入れる作業だったと後日ツバメさんから連絡があった。機関車を遊び場にしている仔猫が、あいかわらず愛くるしい顔で機関車の隙間から覗いている。が、だいぶ成長して少々大人びた顔つきになってきた。フェンス外で親猫と子猫3匹が闊歩していたことがある。あと一匹はどうしているのだろう? |
つばめさんの到着前に,写真パネルをセット.先週7/1,2で述べたが,三部作の予定で,そのうち,1.現役時代,2.搬入から梅林公園での20年をセット.さらに,中日新聞の日曜版に掲載されたSLの特集記事もパネルにしてセットした. 次の作業.電気機関車の汽笛を使って,なんとか蒸気機関車の汽笛を模擬したい。汽笛はが約500Hzの基音を出す15cmの筒と,その倍の約1000Hzを発する約7.5cmの筒が向き合ってつけられ,鳴らすときは両方のノズルに高圧空気が導かれて同時に鳴るようになっている.倍音なので,単音に聞こえる.上記周波数のままなら,ピーッという音にはならないが,高圧空気の吹き込みが強いからと思われるが,倍音や3倍音が出て結構甲高い音になっている.蒸気機関車は古くは単声,少し時代が経過すると3声,その後5声となった.一つの筒が5つに分けられ,それぞれに蒸気ドームから直接高圧蒸気が送り込まれる.その5つの長さは和音になっている. これと同じ音程を発するためには,電気機関車の2つのそれぞれの筒の中を3つに仕切ればよさそう.電気機関車の汽笛といえど,簡単に入手できるわけではないので,作ってだめなら次というわけにはゆかない.作りなおしができる方法で試さねばならない.とりあえず肝心な長い方の筒で試すことにした.1mmのアルミ板を幅13mm長さ150mmに切り出し,それを,汽笛筒を支える軸に取り付ける.これは仮止めで試すため,パテでやってみた.そして,3つの部屋に分かれることになる一つのしきり部分の途中に,共鳴周波数が高くなるようにやはりパテで詰め物をして,筒をかぶせてみた.時間が不足して,一回だけ試しただけがだ,失敗.なぜか,思った以上に高い音になってしまった.計算上そんな音にはなり得ないのだが,おそらく,筒の中で仕切り板が傾いてしまい,それにより,妙な音程になったのだろう.ほかの2音はもとの長さであり,それらに空気を送り込むと,仕切り板を入れる前と同じ音程.この日D51470HPkeepwrは用事があり,ここで中断. 春日井のつばめさんは,午後も会長の家におじゃまして日立の壮行会のビデオなどを見てもらうなど,あれこれ作業し,夕方帰られたと思う.その作業内容は聞いていない. |
石炭サンプル展示 灰箱から出てきた石炭灰 発煙筒で火室は、本物らしく見える | 以前、中原会長が「子供がよく石炭について聞くので、本物が有るといいなー」と言っておられた。それで、ちょっとした知り合いの出光興産に入手方法をお願いしたところ、非常に親切にご協力を得られた。どんな種類が良いかとの問い合わせがまず来た。蒸気機関車に使われていたのは、粒が粗いものから結構細かいものが入り交じったものだし、普通にそういうものをサンプルにという方は、たいてい4-5cmぐらいのサイズがそろったものを希望されるとのコメントがあった。D51470HPkeeperはそこまでわからないので、元機関士の方に聞いたところ、「皆は無煙炭が良いと思うだろうけれど、種類が選べるならサンプルには瀝青炭が良い。無煙炭5では石油を使って着火しないといけないが、少々質が低いが油脂分(揮発分)を含む瀝青炭が好ましい。また、サイズとしては、卵大から細かいものまで混じっているのが燃焼には良いから、昔粒が大きいのが入ってくると、まずそれを小さくするように仕込まれたのですよ」とのこと。それでさっそくそういうものを送っていただいた次第。 7日はその石炭のはいったペール缶を持って、公園にでかけた。が、思わぬ事件で大変な日になってしまった。D51470のフェンス開門直後に行ったのだが、悪臭が漂っている。キャブ内に入ってみるともっと強い。どこから臭ってくるのか、外に出てみても、やはり機関車の近くからに間違いない。足回りをぐるりと回っても、特定しにくい。キャブに再び入って、火室の釜焚き口に顔をつっこむと、そこかららしい強さ。が、そのときは10時までにでかけねばならないことがあったので、送ってもらった石炭をとりあえず置いて、でかけることとした。2時頃用を済ませて、午後来ると行っていた春日井のつばめさんに出先から電話すると、強く臭っているとの話。3時過ぎに到着すると、つばめさんは扇風機でにおいを散らしながら、灰箱あたりでなにやらやっていた。「灰箱の蓋が開くようになりましたよ」と言う。それはすごい、機関助手の席で、ハンドルを回すと開く仕掛けだが32年間全く動かしたことが無い。油を差すことができるのは、その軸部分のみ、しかし蓋を開閉するためにリンク機構が機関車下を通って行っているから、それらの回転部分には油を差せない。それが動いたとのこと。中原会長は都合で公園に来ることができないので、勉強した知識が頼り。ツバメさんはさすがいろいろ知っていて、ありがたい。 以前、灰箱につながる蓋の中から猫のなきごえがするので、開いたら猫がとびだして行ったというので、もしかすると、どこかに入ることはできても、出るのが難しい穴があるのだろうと、ツバメさんは以前から思っていたとのこと。二週間前も、写真に示した猫を救助したとき、この仔猫がどこかに迷い込んで死ぬようなことがなければ良いがと心配していたのだった。 てっきりその仔猫か、親猫ではないかと悲しい想像をしながら、二人で思案した。やはり灰箱の中が一番怪しいから、つばめさんが火室の火格子を通して灰箱を見てみる、焚き口に扇風機を当てて、私にはにおいを飛ばしてほしい、そして灰箱の蓋の方にたまっている灰を押し出すとのこと。そしてしばらくすると、「どうやらそれらしいのが、灰箱の蓋に近いところにあって今、蓋から下に落としたから、蓋付近を見てきてほしい」とのこと。下に下りてみてみると、確かに長いものがぶらさがっている、よく見ると背骨そしてそれにつながった縞模様の尻尾。間違いなく、猫。が結構大きいので、以前あちこちに出没したアライグマかもしれないと思ったが、やはり猫。 出てきた石炭灰、さびた鉄板の残骸などもついでに掃除。この量は結構あり、ビニール袋に二袋、非常に重かった。公園の管理人の方がすでに、埋葬用の穴を掘って用意しておられた。そこに死体を葬り、つばめさんは合掌(猫が大好きな人なのです!!奥さんとSLと猫と、一体どれが一番大事か一度うかがいたいと思っているのですが、奥様も猫、SL好きなのはツバメさんに劣らないとのことなので、聞くのが野暮ですね)。その上に、錆落ちた鉄板のかけらなどを含む石炭灰をかけて、一件落着。 いや、この作業、においが厭ということもあるが、私も猫好きなのでその「猫」を救えなかったという意味でのつらさが有った。つばめさん、「私たち猫が好きだからそれほど厭わずに進んで撤去作業ができるけど、嫌いなひとにはたまらないでしょうね」、と慰め合い?公園側も、本来公園スタッフがなすべきことを、たまたまSL内で死んでいたために、作業をかって出ていただいた形になってしまった、感謝しています、とのこと。いえいえ、機関車の構造がわからなければ、きっと探し出すことはできないことなので、私たちがやったことは当然ですよとつばめさん。お互い、実に良好な関係ができている。 おまけも有った。灰箱掃除は搬入以来していないと思われる。猫は比較的灰箱の出口蓋に近い方で死んでいた。焚き口に近い方はその意味では32年前のままと考えられる。つばめさんははじめ、そこから石炭灰を灰箱の下に落としはじめたので、それらは手つかずで残っていたD51470の貴重な石炭灰の資料。これを捨ててしまったら、その生きて動いていたときの証の一つが消えてしまう。たとえば、その灰を分析すれば、どんな石炭を焚いていたかがわかるだろう。もちろん、保存会がそんなことをするつもりはない。単に「まさにこの機関車から出てきた石炭灰です」と言えば、「この機関車で焚いたわけではないけれど、石炭は燃えるとこうなるのですよ」という資料を見せるよりは、親近感が違う。 | ということで、ちょうど石炭を入手して展示を考えていたときに、こんなことが有ったので、ゴミにも等しい石炭灰に歴史の重みを感じることができたわけ。偶然とはいえ、感謝の気持ちが沸いてくる。猫が死ななければまだまだその灰(と言ってもアース殻のようなもの)はそこに眠り続けたかもしれないし、たとえ死んで掃除をしても、石炭入手というタイミングを外したらやはり、残して展示など考えもしなかった。 残り時間が少なくなって、当初の作業はできず、とりあえず春日井のつばめさん、きたさんが、日立の78653の青森への壮行会でやまてつさんの発案の煙演出方法をやってみたいというので、さっそく取り組むことにした。焚き口にペール缶を置き、4-5本の発煙筒に着火して投げ入れると、まるで本当に釜を沸かしているかのように赤く輝く。 一方、煙室では蒸気ジェットを出す通風孔の上に扇風機を煙突下部を向けて回す。すると、抵抗が大きく、扇風機程度では吸い出しできないのではと心配だった煙管を通って煙が火室から吸引され、そのまま煙突に向かって送り出される。点火してしばらくすると、出てきた煙は徐々に濃さを増し、煙突の中でやっていた以前と同じ雰囲気になった。大成功。以前は煙がすぐ下で輝く発煙筒により赤く染まって、「黒い」はずの煙が「赤かった」。それが黒にはならないものの、白い煙となり、ついでに火室が生き返ったようで、両方を見学者は楽しめる。話はその火室に戻ろう。思った以上に扇風機の効果が出て、本来なら火室内を煙が充満してくれると思ったが、発生したらすぐ煙管に吸い取られるように火室から去ってゆくので、ペール缶の太さだけ赤く光って見えるのが少々不自然ではある。が、贅沢を言えばきりがない。たとえばもう一つ扇風機があれば、それを火室で回して煙を攪拌することで、焚き口全体を真っ赤に見せることはできるだろう。ペール缶も浅く加工し、光が四方に広がるようにして。 会長は、一週間前「コンプレッサーで圧縮した空気を蒸気分配機を経由して通風孔に導いたら、火室の下で焚く発煙筒の煙は誘因作用で火室→煙管→煙室→煙突という風に誘引されないだろうか」と言っておられた。今度はその実験をしたい。子供たちにとって、水蒸気を煙室の通風孔で噴出させたら、煙室のガス量が増えるわけだから、逃げ場を求めて煙突または煙管に向かうと思うのが自然。それなのに、吹き出した蒸気ジェットが大量の空気または燃焼ガスを煙管から吸い込んでくれる。それをなかなか理解できないだろう。それを目の前で示そうというわけ。会長はいつも見学に訪れる子供たちに接しているので、生の疑問に答えたいという思いが強い。上述石炭の話も実は、子供の質問に発している。 その後、さびやすい無塗装のロットの油塗り、以前雨で痛んでしまった「現役時代の写真」パネルを再設置する作業だけ行った。帰りがけ、フェンス外で仔猫が闊歩するのを春日井のつばめさんが見つけ、居ますよ!との声。良かった。それも先日一匹と思っていた仔猫は3匹。先日の写真の仔猫も居る。親も同じ。他に毛並みの違うものの大きさは同じ2匹が、じゃれながら歩いていた。 2日は土砂降りの雨と晴れを繰り返した。実はその写真パネルを見学者のための椅子の上に置いたままだったので、再び雨にやられないように、セットに行った。ついでに石炭を透明プラスチックに入れたものもキャブ側テンダー車に設置した。 5/5完成を目指しながら、未だ完成を見ない簡易汽笛装置、なかなか進まない。夕方、電気機関車の汽笛が単笛なのを、5声に似せるためのトライアルの調査をした。思っていたより少々面倒な加工を必要とすることがわかった。 ちょっと立ち寄っただけだったが、帰りがけ、再び機関車から仔猫の鳴き声。だが、どこからか探しても不明。やむなくフェンスを閉めた |
キャブ内をきれいにしようと、天井の色塗りなどしてきたが、メーターの真鍮の側の磨きだしも、会長が自宅に持ち込んで作業。先週は付けてなかったので、そのまましばらく付けないとすると、訪問者が「盗難?」と心配されるからと思い、張り紙を作って持参したところ、不要であった次第。 今週からしばらく、会長はご都合で来られない。24,25合わせてD51470HPkeeperの私は、24,25日合わせて5時間ぐらい作業、先週かたちができた水タンクの接着場所の確認とさらなる強化策実施。たかが水圧、されど水圧ということで、実際水の入ったバケツを持つだけで十分重いと実感されるでしょうが、底にかかる圧力はそのバケツの数倍に達する。だから相当きちんとしておかないと、簡単に水が漏れるし、下手すると壊れてしまう。アクリルパイプで作れば、強度は十分だが、価格が一桁以上違ってくる。 | ||||
先週居た猫がまだ機関車ボイラー下に居た。親子だった。くりくりとした目玉の子猫は実にあどけなくかわいい。親猫も、人を恐れる様子もなく、どっしりと休んでいる。写真は5時過ぎ撮ったが、7時頃作業を終了して変えるとき、親猫が子供を呼ぶ声でなき続けていた。機関車を囲むフェンスから出て、外の児童用遊具施設の方から反対側の梅やサツキの植えられた垣根の中など、右往左往。その間犬が来た様子もなければ、猫好きの子供が持って行った様子もない。単に親が子を見失っただけらしかった。最後の戸締まりで、フェンス内に人が居ないかぐるりと見回したが、ついでに機関車の下をも点検、子猫らしき姿はみかけなかった(以前、管理は市が行っているころ、二回ほど親子がフェンス内に閉じこめられたことが有ったという)。 25日、朝1時間ほど立ち寄ったときは、その子猫がやはり機関車の下で跳んだりはねたりして遊んでいた。親猫は外でみかけた(実際、非常にたくさんの猫がたむろしているので、確かに親かどうかは不明)。とにかく、一安心。普通猫は、多いと10匹近くを産む。なのに一匹しか子猫が居ないというのは、はぐれたか、かわいいから子供が持って行ったか、犬の餌食か? いや、実は雄猫はネズミのように子猫を襲う(私が子供の時も、警戒していたのに、あっという間に雄猫に仔猫を捕られた苦い経験が数回有る)。そちらの犠牲になったのかもしれない。この仔猫ぐらいの大きさになれば、雄猫はあまり襲わないかもしれないが。同族に襲われることを、この親子は知っているのだろうか? |
写真上、電気機関車汽笛利用、汽笛を鳴らす水タンク。まだ内・外筒が完成しただけ。水は入っていないし配管も全く済んでいない。むしろ、作ってみて、0.5mmの塩ビ膜を巻いて作ったシリンダーの重ね合わせて貼り合わせたところの強度不足が心配される。手直しが必要、多分。一応完成すれば、左の状態が空気が入っていない状態、大人が一吹き二吹きと空気を送り込むにしたがい、内筒が上昇し、水面との間に空気がたまる。このシリンダーにはさらにおもりが取り付けられ、そのおもりとの関係でたまる空気圧が決まる。右端は空気がたまりきった状態を想定しているが、ちょっと斜め。これは本番はそのおもりの作用でほとんど垂直に向くはず。機関士の汽笛ペダルあるいは機関助手の汽笛レバーを操作すると、この内筒が下がりながらたまっていた空気が汽笛に流れ、数秒間音が出る算段。 | ||||||
左は、17日の懇親会。右はやっさん撮影の猫。以下はやっさんの説明。被写体が小さく撮影最短距離よりも短くなってピンボケ、それを補正してみましたが、やっとこの程度です。見てのとおり、仔猫がボックス動輪の隙間で休憩(?)しているところです。この後、顔も隙間に入れてしまい、春日井のつばめさんが取り出した時は、かなり力がいったとのことですので、はまり込んで抜けなくなっていたのかもしれません。逃がしてやると今度はテンダの方へ走っていってしまいました。しばらく気にしていませんでしたが、帰りがけにテンダの下から鳴き声がします。ライトまで使って探したのですが、見つからず、あきらめて引き揚げました。住みつかれたり、最悪死んでいたりするといやなので夜のうちにどこかへ移動してくれたことを願うばかりです。注:春日井のつばめさんは、ご夫婦ともに大の猫好き(私D51470HPkeeperも然り)。だから、上述のはさまった猫の頭をはずすのは慎重に丁寧に要領よくされたことと察する。この梅林公園、とにかく捨て猫が多い。街中(まちなか)だからであろうか、猫たちは冬でもエサにありつけるらしく(禁止されていることだが、与える人もみかける)、別に飢えている様子もなければやせ細っているわけでもなく、結構人なつっこく、猫たちの活動時間である夕方になると一匹二匹と姿を現し始める。捨てられた猫がほとんどと思うが、それなりに自由を謳歌しているようにも見える。機関車を寝泊まりに使われていたときが有るとは、会長の弁。何かの理由で機関車内あるいは近くで死なれると、人間どもの傲慢とは思いながらも、やはりやりきれない辛いものを目にすることになる。やっさんと同じ気持ち。 |
6/2まで実施されたアスベスト除去工事あと初めて守る会の皆が中に入って何をやって行ったのかじっくり見てみた。蒸気室、シリンダー室とそれを覆う鉄板の間の空間など、あちこちの空間で断熱の必要だったところから取り出して行ったようだ。また31日にも書いたが、アスベストで断熱していると思われるパイプがむき出しになって、剥がしたということがまるわかりというものが、とくに動輪ちかくからテンダーまで、機関助士側に多数あった。 とりあえず、剥がされ裸になっている鉄パイプについて、さび止め塗装。実は裸になった表面に繊維がふらふらと風になびいている。沢山というわけではないが、これなら今まで塗料でがっちり塗り固めてあった、そのままの方が良かった。アスベストは妙な対策をすると、却って始末がわるい。今回はこうしてさび止めで塗り込めた。今後、なにか断熱材らしいものを巻いて、復元したいと会員皆の意見。 |
汽笛はやまてつさんのサジェッション通り化け物級のパイプレンチをしかるべきところから借り受けて、春日井のツバメさんとD51470HPkeeperが回してみた。するとテコでも動かないと思った対象が、少し回った。これで楽になるなと思ったが、どれだけ回しても、楽にならない。パイプレンチが蒸気溜を覆うカバーに当たって、なかなか力も入れにくい。あちこちに向きを変えながら、休憩を取りながら、長時間かけてやっと外れた。バンザーイ。やまてつさんありがとう。 雄ねじの山をヤスリでコスって今度から楽になるように、磨き、汽笛本体の雌ねじも、先をとがらせた針金でネジの谷を舐めるように回転してみたら、雄ねじはあまり汚れが付いてこなかったのに、雌ねじはかなりの埃かゴミか垢か真っ黒のペースト状のものが掻き出されて来た。これで楽になるかと思ったら、確かに手でぐるぐると入って行く、しかし最後の12-3mmが急に固くなった。その状態で、圧縮空気を入れて音出しを試してみた。スリットは磨いてふさがっていたり、ジェットが横を向いて行くことはない状態に復元したつもり。ところが、以前、スリットにまだ塗料が詰まっていたときに試した音の方が良かった。5声全てが何らかの音を出していたのに、今回はどれも音が出ない。もしかすると、スリットを磨き邪魔物を無くしたため非常にスムーズに空気が流れるようになって、ジェットの平均速度が遅くなり気柱振動をうまく起こせなくなってしまったのかもしれない。だとすると、相当圧力を高める必要がある。いや、実は現在は空気を溜めたタンク圧は5気圧だが、大量に空気を送るため配管、とくにバルブでの絞り効果が圧倒的に圧力差を必要として、バルブ以後はほとんど大気圧まで圧力が落ちてしまっている可能性がある。汽笛の本来のバルブ位置まで太いパイプで持ってきて、その部分でできるだけ大きな流路面積のバルブで開閉しないと、5気圧がまともに使えないのではないだろうか?そのあたりは部品を現在作ってもらっているので、それが完成してから試してみたい。 もう一つの、シリンダーに人間の息で空気を溜めて電気機関車の音を出すという装置、今日も部品を運び込んだだけで、何もせずに終わってしまった。本物の汽笛で十分手間取ってしまったこと、ついいろいろの話題が出て、話しが長くなることなどが原因。 |
今日は、会長、春日井のツバメさん、きたさん、SL工房にNさんの他、岐阜のメンバー Y.S.さん、S.W.さんが参加。SL工房のNさんが持参された、ヘッドマークを付けて記念撮影もした。またちょっと疲れて遊び心で火室の狭さを体験。実は前回この中に沢山石が投げ込まれていたのを、取り出したのが会長ときたさん。間がないからと思うが、その後石が投げ込まれた様子はない。照明で照らして上を見ると、「天井控え」のボタンヘッドが「知らせ穴」を見せているのがわかった。先週春日井の総会のとき、「知らせ穴を塞ぐ作業は、まだ火が入っているときに石炭を後に追いやっておいて、水を含んだ布を被って作業をした。火を落とすとまた着火、加熱で大変なロスになるからだ。でも熱いから5分で交替してやっていた。」とのこと、この狭さではいくら水を含んだ布を来ていても、高熱になった部分に触ってしまうだろうから、大変だったろうね」など、会長以外は素人なので。「宮峠を越えるときは、空だきが心配だった。一心不乱に数a先も見えないトンネルの中で石炭を炊き、機関助士が機関士に蒸気を使いすぎるなと、怒鳴ることも有った」とか「やっと登り切ると今度は下り勾配、すると水が前に移動して火室上部の水が前に移動して空だきになると、これは大変なことになってしまう。何事もな真っ暗の煙の先にほのかに明かりが見えると、やっとトンネルを出る、空だきの危険は通り過ぎたと胸をなで下ろしたんだよ」と、昔を振り返りながら、素人の私たちに解説。 穴から出てきて、「本当に坂道のトンネルや、知らせ弁が飛んでしまったボイラー補修は大変だったとわかる。でも、こうして遊んでいる分には鼠気分だね!!」と不埒な発言。 |
圧力計は、会長が自宅に持ち込んで磨いているとのこと。見学者の皆様、紛失ではありません。このメーターを取り付けていたラワン材、相当朽ちてきていて、ネジ穴が効かなくなっている。どうやって補修をするかも、みなの知恵の出しどころ。天井板も、かなり朽ちてきている。キャブ内はまだ十分整備しておらず、やることは満載。先はまだまだ長い。アスベストで少々道草を食ってしまった。いや、静態保存を単にするならば、汽笛問題は避けるべきだったかも。ならば、もっと作業ははかどった?いや、汽笛がどうの、火室のめらめらした照明はどうするなど、見学者にどう楽しんでもらうかをみなで考えることが楽しいから続けられる。とにかく、いつまでにやらなんというものじゃないからという会長の言葉通りに自然我々もなじんでしまっている。 |
下の三枚の写真、一番右が5/31のもの。左と中央は同じアングルで以前写したもの。デフの四角い穴の奥になにやら今までに無いものが取り付けられているように見えるのが、以前と変わったこと。これももしかすると、光線の加減でそう見えるだけで、何も変わっているわけではないのかもしれない(後日、工事終了後見てみたが、これは無関係だった)。そのデフの下のシリンダー室の空気弁。これは金網が入っていることになっているが、アスベストに見えた。これは何もしていない。やはり金網なのだろうか?あるいはアスベストだが何もしないということだろうか。とにかく、ずっと見回しても何をやろうとしているのか、やったのかこの状態では何の形跡も無い様子。 |
その後Y.S.さん(搬入時の写真提供者)が写された写真の提供を受けた(実は余裕が有ったら、撮影していただければ有りがたいと依頼してあった)。丁度タイミング良く後片づけだったので、撮影できたとのこと。エンジンで大容量の掃除機のようなものを回したらしいとのこと。おそらくアスベストを剥がすところで掃除機の口にようなものを近づけて飛散するアスベストの繊維を吸い込み、細かいフィルターを通すことで繊維質を捕まえ、濾過されアスベストを含まない空気が外に出てくるというものだろう。 問題は、アスベストを剥がしたものの、巻いてあった金属パイプは剥きだしのままで守る会がそれを修復しなくてはならないこと。まさか本物は断熱していたのに、いかに静態保存車だから熱く無いとはいえ、原型をとどめていると見学者は思って見て行かれるのに、断熱してないと、「こんな熱いパイプがむき出しだったんだー、だからやっぱり消えなければならない運命だったんだー」などと変に想像力をたくましくされて、それが一般論になっても困る。いずれ、アスベストではない、アスベストらしいものを巻いて、本物らしさを出さねばならない。本来そこまで手当するのがプロではないかと思うけれど、市役所との約束がどこまでか不明。 |
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がやがやと集まって「木曽路」ヘッドマークを取り付けている。何をやっても792機のことなら皆興味津々、皆話題の中に居たい。 |
←↑:ヘッドマークを取り付けて一段と凛々しい792機。これが中央線で当時あまりきれいに扱われていなかったマシーンとはとても思えない。 |
このレール、設置のための臨時のもので一部は取り外されるが、ゆったりとした余裕を持って残される。とくに写真左の直線部は30mほど余裕を残し、イベントのときには人力綱引きなどを催したいと、保存活動中心メンバーの方の弁。実は元岐阜大学の教員の息子さんで現在岐阜高専で教鞭を執っておられる方の話。 これら3枚のアングルでは見物客が居ないように見えるが実は大勢いる。 |
危険なためロープが張ってあり近くに行けず、私の左右に横並び状態。なお、27日は移動設置までで、お披露目は後日。フェンスなど整備してからとのこと。屋根がもうけられるとは聞かなかったが、右写真でわかるように、すぐ北に神社があり、森の中という雰囲気が屋根が着くと壊れるだろう。保存には屋根がありがたいのだが、無理ならこまめに整備して長く保存しなければ・・。いや、やはり屋根は着き、その工事終了後お披露目だという。 |
なぜかこちらから撮影している人はほとんどいない。この場所は、この公園に北側で面する「金神社」。この場所は、JR岐阜駅から北口二階からのびる歩道橋を渡って降りたところの「玉宮通り」のレンガ道を左右の小さな衣服レストラン界隈を楽しみながら1kmも進むと公園に出くわすが、そこ。その先に昔有名な柳ヶ瀬通りが有る。そしてそこを右折してまっすぐ東に進むと、私の関係する梅林公園・D51470が静態保存されている。 |
今日は、副会長 A・Yaさんの息子さんが中古の煙発生装置を入手して持参された。これは以前やまてつさんから紹介していただいていたものと同機能品。消防訓練で使われているという。 午後からの活動だったが、てきぱきと仕事が進み、試すところまであっという間に進んだ。煙量は結構多い。ノズルが横向きなので、機関車の煙突方向に向けなければ効率が悪い。運動量をかなり与えられて出てくるものの、そのままでは煙室内でよどんでしまうので、風が吹いて誘引された分程度しか出てこない。中に空気を送り込まねば積極的には出てこないわけだ。そこで、春日井のツバメさんがコンプレッサーで空気だめに蓄えた空気を煙室に導く配管をてきぱきとした。そして実験すると、当然のことながら煙が上昇。ただ、これでも風量が十分ではないので、風によっては見えなくなってしまう。コンプレッサーからの配管を太くするなどの工夫が必要。一方以前試した乗用車用の「発煙筒」は、においがするが、本数で煙量の調整がかなりできる。非常に高温ガスを発するので、この点も扱いによっては危険。試行錯誤しながら、時と場合に応じた「演出」方法を絞ってゆくことになるだろう。 一方、会長はテンダーのナンバープレートの着色作業。新たに入手したスプレーラッカーを試し、ご満悦であった。確かにできは良い。「プレートが無いので、テンダーバックからの記念写真が寂しい」という訪問帳への書き込み、あるいは「盗難?」というホームページ交流板への書き込みなど、皆様には長らくお待たせしたり、ご心配をおかけしたりしました。 |
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ツツジに集まる虫のうち、普通のミツバチより無彩色に近い種類がなぜか、先週も機関車の車輪近くを飛び交う。気づいたのは今日も夕方。どうしてだろう?多数ではないが。車軸受けなどに塗った油がこの種の蜂に心地よい香りを醸しているのだろうか?いやそうなら、オイルは垂れてバラストにもついているからそこに集まって良いはずだが、狙うように来るのは車軸近辺。動きは活発で、どこかに止まったと思ってもカメラを構える余裕を与えず移動してしまう。 それを見ていたら、テンダーの側面中央部に蛾が止まっていた。どれだけカメラを近づけても、こちらはぴくりともしない。死んでいるのだろうか?今日日中暖かく、夕方は冷え込んできたので、機関車に残るぬくもりに浸りに来たのだろうか?がしかし、これは北に面する側面。 |
午後私(DG1470HPkeeper)は現場を離れた。昨日も来られたきたさん、神戸のしゃちおさんもかけつけ作業に合流。昨日来岐予定のやまてつさんが、渋滞などで遅れていたがついに到着。汽笛分解(左上)をトライしてもらった。私も随分遅れて現場に戻った。火室の石出し作業、機関士の真上の照明(これは春日井のツバメさんが入手してきた蛍光灯。やまてつさんが、蛍光灯は珍しいですよとのこと、会長が美濃加茂機関区の機関車も蛍光灯を付けたものが有ったにはあったとの弁)、汽笛、安全弁の磨きだし、加減弁の動作回復(右上写真:もちろん引き棒までで、蒸気溜の加減弁・ベルクランクの外のクランクと接続するピンを抜き、そこからは動かないようにしている、だからこそ引き棒までの動きが回復する。 残念ながら長門から岐阜・梅林公園までの運搬作業のためか、梅林公園での設置作業のためか、ボイラーを覆う鉄板と加減弁引き棒テコ部分が微妙にしかも頑固に接触しており、全開にはできなかった)など作業が進む。汽笛は相当頑固に錆びていて、弁棒が抜けなかった。汽笛自体もびくともしない様子。音だしには、結局本物のバルブをそのまま使うことはできなさそう。 |
音の再現にどうしても必要なことは、ジェットを出すスリット(弁蓋外周の1mmほどの隙間)についた塗料・さびをきれいに磨くこと。弁蓋のエッジが回復しないと、ジェットが有効に笛の縁に向かわず、気流の剪断作用が設計通りにならないから満足な音にならない。やまてつさんによれば、スリット外周を形成する下部(ジェットを送り込む部分)とスリット内周を形成する弁蓋と一体構造の上部(ジェットを受けて音を出す笛部)を分離することは中心を通っている軸がネジ止めされているから、笛部をなにか大きなたとえばパイプレンチのようなものでくわえて回せば外れる可能性があり、よそでもそうやって外したとのこと。 上述で「石出し」という表現をしたが、これはもちろん蒸気機関車の専門用語ではない。梅林号は火室扉を開けっ放しにして中が見えるようにしてある。その中に子供が石を投げ込むらしい。枕木の下に現場にもあるように石が敷き詰めてある(新幹線はコンクリート軌道で無いところも多い)が、それをせっせと運んで入れるようだ。 これは、「子供のいたずら」かと思っていた。ところが、子供の質問を聞いていて、これはいたずらなんてものじゃないかもと思った。多くの子供が「この中に石を入れるの?」とまともに質問してくるのだ。「うーん、石のように見えるけれど、実はそこらの石じゃないんだよ。火が着いて燃える燃料になる石なんだよ。名前は石炭っていうんだよ。真っ黒でね。いつか本物を手に入れたら、見えるようにしておくね」。会長は以前から本物の石炭が欲しいと言って居られたが、こんなことが有ったからかも知れない。 というわけで、子供はどこかで「蒸気機関車は石を釜に入れて走る」ということを聞いているのだろう、本当に石を入れたら動き出すならと思って投げ込んだ可能性が十分ありうると気づき、「いたずら」説を引っ込めるべきかと思うようになった。もしそうなら、「動いてほしい」という夢を持つかわいい子供の心、うまく育ててやりたいのだが・・。 なお、この火室内を炎がめらめら燃えているように照明したい。会長も、なんとか火がついているように見えるとうれしいとのこと。照明することは簡単なことだが、めらめら管をどう演出するか、春日井のツバメさんと算段しているところ。水タンク製汽笛が終わったら、次の計画に入れている。アイディアはほぼ出ている。汽笛同様に、そこに来た見学者の何らかの働きかけでめらめらする仕掛けにしたい。アイディアがあれば応募してください。予算はほとんどゼロです。 |
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いつものように、作業は夕方になってしまった。やまてつさんは、これからまた見たいものが有る近くまで移動しながら車泊とのこと。最後に、灯った機関士席真上の蛍光灯を背景に記念撮影した(右下)。 |
今日は、こどもの日。朝から私(HPkeeper)は汽笛をどうするか、考えていたが、どうにも考えがまとまらない、この期に及びながらである。それは、当初予定の動作空気を親が溜めるところは良いが、必要な一定圧力に達するまで水位を上げなくてはならない。一方、一定圧力の有効な空気を使い切っても、バルブが開いていれば、上げた水位がムダに(音量がさがりつつ)戻ってしまう。すると毎回、その水位を上げる努力をしなくてはならないことになる。これでは効率が悪すぎる。これをどうするか。案は有るが、配管長さが長くなるばかりでは困る。長配管はバルブ開のとき、応答の遅れにつながる。 一方、簡易的に作った現在の方法も残しておかないと、梅祭りや小学校の遠足時など大勢が詰めかけたときは、直接吹いて鳴るようにしておきたい。これらのためには、切り替えバルブが必要になるなど、あれもこれも満足させつつ、予算は最小限、場所も機関車の中または目立たない近辺(配管も考えて)、それに加えて空気溜めタンクは透明円筒にして中の水とシリンダーの動きを子供が見て、仕掛けを理解するようにもしたい。 ということで言い訳だが、じっくり取り組むこととした。 なお、昨日書いたが、大人でもポッと鳴る程度で息が続かない。そこで工夫をすると書いた。それは、電気機関車の汽笛は2笛構造であり、500Hzぐらいの音程の長いパイプとほぼその倍の長さのパイプが向き合っている。その短い方のノズル(スリット)を塞いだ。これは消費空気を半減することと、さらに蒸気機関車の音程より高く聞こえるので、高温側をカットすれば音程だけでも蒸気機関車に近づくという一石二鳥を狙ったもの。実際実施してみて、大当たり。 |
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昨年9月頃の塗装作業などに来ていただいた東京のやまてつさん、神戸のしゃちおさん、名古屋のSL工房さんに常連の春日井のツバメさん、名古屋のきたさん、そして地元の中原会長、D51470HPkeeperが親睦会を開く予定だったが、やまてつさんが山口からこちらに向かっているが渋滞などで間に合わないとの連絡。一方、日立の86保存活動(解体直前にやまてつさんたちの運動が効を奏し、青森県で動態保存可能になる、その移転などの費用捻出のための募金活動)のメンバーが家族で梅林公園に立ち寄られるので、よろしくとのこと。そのご家族が午後訪問された。3人のお子さんとご主人、お母さん連れでの賑やかな行脚。皆SL大好きの様子。
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暗くなってから煙演出。煙は、乗用車の期限切れ発煙筒を再利用。 |
30Wの電灯によるキャブ内照明。 |
テンダーの標識灯点灯(上述のように、久しぶりに形式銘板が取り付けられた)。 梅林公園の北の山に面して料理店がある。そこでご親族の集まりなのか、結構な人数がにぎやかに公園に降りてこられた。そして遊具施設のブランコや滑り台などに腰掛けてかなり長い間煙演出などを見ておられた。 |
作業を7時半ごろ終えて懇親会。8時頃から12時過ぎまでとなった。中原会長の、蒸気機関車以外の話しにも会話がおおいに弾んだ。あっという間の4時間。でも、まだ明日も活動が有る。しゃちおさんはインターネットのできるホテルへ。SL工房さんは名古屋へ車で(もちろん、懇親会では飲めない私と一緒にウーロン茶だった)。春日井のツバメさんときたさんはそれぞれ鉄道で名古屋、春日井へ岐路に。 しゃちおさん、申し訳ありません。超広角で撮影したため、スマートな体が横に思いっきり引き伸ばされてしまいました。 |
今日は汽笛作業に専念のはずだった。ある篤志家の企業に提供してもらったバルブ、配管類のうち配管が実に曲げにくい。要領は聞いておいたが、温度を上げることが難しい。一生懸命曲げたが、曲げたまま冷やさないともとに戻る。が、熱伝導率が非常に低く、少々冷やしても中は冷えて居らず、また曲げは元に戻る。水道管用塩ビとは比較にならない曲げにくさ。それで大変な時間を食ってしまった。 それで、まずバルブから汽笛までをセットすることにした。昨日の方針通り。バルブが並ぶ奥に天井から鎧戸風隙間からパイプを出すので、なかなか手が届かない。この作業中、一人だったから上から差し込んだパイプが、下のパイプにエルボーで接合しようとすると逃げてしまう。動いてしまったパイプはまた天井に登って位置を正して、下に降り、またトライという具合。作業中にもキャブ内には親子連れが訪問。上で何かやっているのに気付いて、びっくりされる場合も。「ごめんなさい、おどかして」と誤りながら作業進行。 またタンクまでの配管作業をしていると、兄弟連れが訪問。「何やっているの?」「うん、汽笛の音をならそうかと思って」「えっ、鳴るの?」「今日はだめだけど、明日なら出ると思うよ」「僕たち、明日は来れない」「そーか、それは残念だね、・・・、じゃね、30分待ってくれる?簡単な方法で鳴るようにしてみるよ」「ホント?待ってるよ」というので、急遽、春日井のつばめさんがセットして置いてくれたバルブの空気導入側から機関助手側までの長さにパイプをカット。でも、くせのついた曲率を直すのは上述のとおり、至難の業。無理矢理曲げてセットしたら、子供には少々短かった。それで鳴らして見せ、こんな要領で一気に思いっきり吹いたら?」というとトライ。が、スーという音のみ。つい勢い余って「ブー」という声が出てしまったり。そのうち、「ちょっと体力を付けてくる」と兄弟と一緒に出ていった。かなりしてから戻ってきて再挑戦。でも出ない。それでも、また何度も何度も挑戦。そのうちに小さくホッというような音が出た。「その要領だよ、良かったねがんばって。」というと、さらにトライし、そのうちまともに音が出るようになった。実際、この音は大人でも要領の悪い人は出ない。 そうかと思うと、同じぐらいの子供が大人顔負けに一発で良い音を出した。すごい子が居る。この子のすごさ、先ほどのどこまでも諦めずにがんばる子のすごさ。どちらも、見ていて嬉しい。こういう姿を見るのが楽しくて、こういう活動が続けられる。 |
2ヶ月前、梅祭りをやったばかり。今年は寒かったため、梅はちらほら程度だった。満開から数えればまだ1.5ヶ月程度過ぎただけ。それがもう梅の実をつけている。真っ青な梅、ピンクに一部を染めている梅。まちまちだが、可愛もの。中原会長によれば、来年の花をきれいいするためには、このタイミングで摘んでしまわないといけないとのこと。梅林公園の梅はまさに観賞用だが、この時期に一斉に摘む人は居なさそう。 実は、夕方帰るとき、そんな人を見かけた。泥棒のような心境だった雰囲気。でも、きっと本当は今摘むのが良いと中原会長のように知っている人なのだろう。 梅ばかりか、サクランボがふくらみはじめた。 10日ほど前にはまだ藤が3分咲き程度だったが、この連休は既にかなり散っている。一方、機関車のフェンスをかこむツツジはつぼみをふくらませている。一部は満開になっている。もう少ししたら、全てが咲き乱れる。 背景の山も新緑が映える。岐阜市の繁華街の中にありながら、こんなに良い空気が吸えるのは幸せ。いや、実は、この機関車はそうでない証拠をしっかりと抱えてる。このことは先日述べたとおり。その考えは間違っているかもしれないが、おそらく正しいと思っている。 |
天井もきれいに塗装が済み、照明を点けたところ、塗り直した天井の色が落ち着いた明るさを提供してくれる。 |
これは、もともと無かったもの。汽笛の音を再現したいが、とりあえず電気機関車の部品を使って5/5を目標に音を出してみたい。その準備。 |
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外が暗くなってきた。照明を点けてその威力を確認。右の写真で、キャブの機関士背面が赤っぽい光を反射しているのが、今回取り付けた照明の光。左側面を照らす緑っぽい反射は公園内の水銀灯による照明。暗い雰囲気の中で黒い固まりの一部がじっと物を言わずただただ浮かび上がっている。今日の勤めを終わってほっとして休んでいるのか、早朝、出番を待っているのか。またまた見学者から「この機関車動くの?」と問われそうになってきた。残念ながら、一般には16:30でフェンスの扉が閉まる(以上、写真と情報提供・春日井のつばめさん)。 |
92名一度に一人は大変と、機関車の仕組みをまず外で会長が説明。副会長のA・Yaさんもかけつけて会長の補佐役を担われた。新聞記者もA・Yaさんが連れてこれらていた。 |
機関車内では副会長格の元機関士・安藤さん。中原会長の先輩格の元機関士だから会長同様全てを知り尽くしており、説明は微微細細にわたり懇切丁寧、しかもわかりやすい。これらの写真は、D51470搬入時からファンの末次さん提供。 |
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近くの長森西小学校から 92名の生徒さんが梅林公園に遠足。毎年機関車の説明を中原会長から聞いて、キャブ内などをしっかり見学。一人では対応が難しい人数、そこで副会長のA・Yaさんと、名誉会員級の安藤さん(元機関士で中原会長の大先輩)に応援を依頼、無事説明を終えた。後日のことだが、会長が「客車を引っ張る姿の写真でも置いておきたい」と言う。なぜですか?と聞くと、このとき見学に来た小学生の中から質問が来たそうで、それは「お客さんはどこに乗るの?ここ?」とテンダー車を指さしたとのことで、ここは汽車の弁当箱だからお客さんが乗るところではないよと答えたとか。「じゃ、ここ?」と今度は火室(梅林号はいつも焚き口戸を開けて見学しやすいようになっている)を示す。そこも違うよというと、「じゃその奥?」とボイラーを指したとか。 それで、本来は客車を一台でも引いている展示が良いが、今更どうしようもない。せめて写真でもあれば、子供でもわかってくれるだろうとのこと。 以前は、動輪のバランスウェイトを指して、「なんであんなものが付いているの?」と質問した生徒が居たと言って居られた。今回も良い質問が出たもの。 |
3月の梅、4月の桜が終わり、梅林公園は静かな日曜日を迎えていた。公園では、梅林公園を守る会の皆さんが「今年は遅くなってしまった」と言いながら、鯉のぼり軍団を上げていた。確かに早いところは3月から上げている。 そう来週は5月、池は菖蒲、棚には藤が咲き乱れる季節を迎える。静かな中ながらやはりD51470の南面にある遊具には子供、一緒に遊ぶ親、祖父母の声がひっきりなしに聞こえる。今日はいつも整備作業を欠かすことのない会長不在。私(D51470HPkeeper)一人だったので、会長がこつこつとこのところ進めている銅管の磨きだしを少し進めた。そんな中、話しかけてこられた女性(お子さんは遊具で遊んでいる)に鷲のエンブレムの説明をすると、なんと、そのエンブレムを付けて470が走っていた宇部のご出身とのこと。そして、お父上が結構写真を撮っていたと思うとのこと。ならばと、写真を調べていただき、470の写真があれば、提供していただきたいと懇願した。このエンブレムがデフレクターに写ってさえいれば、470のプレートが写っていなくても470と確実に特定できるからありがたい。 「お子さんを記念撮影されるなら、元国鉄の乗務員の帽子ありますよ」というと、どなたも喜んで使われる。ネットで入手したもの。そういう方の中で子供が鉄道大好きで、新幹線などよく見に行くというお孫さん連れの方も使われた。この汽車は動かないのが残念ですねとのこと、でも、中でレバーを動かすと、いろいと本当に動くのですよ、走り出すことはないのですが。もうすぐ汽笛も鳴るようにする予定ですから、また来てくださいねと言うと、何度も何度もお礼を言われた。(幼稚園の)年長さんというそのお孫さんも、手を振ってお礼を言い帰ってゆかれた。 |
春日井D51792保存会の皆さん(梅林号を守る会会長、副会長の A・Yaさん、整備を積極的に進めておられる春日井のつばめさん、名古屋のきたさんもこちらの会員でもある)と一緒に、中津川のD51266を見学、守る会の皆さんと交流した。 行きの道すがら、会長の他、梅林号を守る会の最長老・安藤さんと一緒だったが80才を過ぎるのに矍鑠としておられ、戦争談義。絶対戦争はやっちゃいかんと、冗談を交えながら笑い飛ばしながら。中原会長がその冗談を受けて揶揄され、実に愉快なコンビぶり。「釜山から中国に入り目的地に着くまで2週間ぐらい風呂に入れなかった。そこで風呂に入らされると、風呂水の中に死んだシラミがうようよ」「食べ物が無いときにえらいごちそうだったわけやね」という具合。 同じ中央線でしかも至近距離とも言えるのだが、春日井の皆さんが中津川のD51を見学されるのは14年ぶりとのこと。上の写真でおわかりのように、中津川は桜が満開から少々過ぎていた。地面には散った桜が実にきれいに絨毯状になっていて、踏みつけるのが惜しいほど。 |
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見学を終えて食事に行く途中、女夫岩(左写真中右の岩が男、左の長い岩が女、これは言うまでもないことだった?)も見学(中津川駅から名古屋方面に10分で機関車のある公園に至るが、ここはその反対方向・長野方面に10分ほどなので、機関車を見学されたら、ここも立ち寄られると記念になるかも・・)。 帰りは、元機関士コンビは一杯入ったためか居眠り加減(敢えて言いますが私は飲めない)、岐路で加わった美濃加茂の山下さんがもっぱら運転する私の話し相手。この方はいつも機関車について話題が豊富。 |
梅祭りから一週間、やっと梅が咲いてきた。まだつぼみも一杯であるが。とにかく有りがたい暖かさ。梅の香りとその暖かさを求めて、梅祭りかと思うほどの人出。私(D51470HPkeeper)は用有ってD51470を見に行ったのが15:40頃。冬ならもう暗くなり始める時間なのだが・・、タラップを上る人、その下で見上げる人。見学者も写真展を行った先週にそれほど劣っていない入り(写真展を仕掛けた私としては、複雑?)。児童遊具の有るD51470の南では、梅祭り同様、出店が並んでいる。その中に、同じ蒸気パワーを利用する「ポップコーン」製造機が今日も勢い良く蒸気を吹き出し、爆音を奏でている。D51470の蒸気パワーはそんなものじゃないよ!!と実演してやりたいが、残念ながら今や静態保存車。 ここへ来る前、すぐ近くのディーラーにタイヤ交換でマイカーを置いてきた。そこに戻って「寿命の来た発煙筒」を100本以上、もらってきた。さらに一本タイヤ(ホイール付き)も、中古を無料でいただいてきた。その発煙筒をD51470に運び込んだ。16:30迄公開というD51470だが、相変わらず、その時間を過ぎてもどんどん客がやってくる。会長は、どうぞどうぞと余裕。それで発煙筒を一本炊いてみた。 すると、「ぽー」と人間の声。会長と話していたお年寄りが「こうやって音を出すと良いなー」と言う。その方は岐阜県のカラオケファンで知らない者は無いという方。カラオケは一人者格で、機関車のマネも誰にも負けない人らしい。「惜しい! 一週間前なら、その実演で見物者が大喜びだったのに」と私。来年来てくださいねとお願いしておいた。 タイヤの使い道は、汽笛の音を出すときのパワー源。コンプレッサーを使えば良いのだけど、春日井のつばめさんが居ないときは無理。それで考えたのが、人力コンプレッサー。自転車の空気入れを置いておき、見学者で汽笛を鳴らしたい希望者にはそれでタイヤに空気を蓄えてもらう。そしてキャブに入って汽笛のペダルを踏むと、音が出るという算段。うまく行くかどうか。もし成功すれば、きっと大受けと夢見て取り組む。もちろん、本物はこれでは鳴らないだろう。とりあえず、春日井のつばめさん持ち込みの電気機関車の汽笛。これは5笛ではなく、2笛。どうやら和音ではなく、倍の周波数。これでしばらくお茶を濁して、理想は本物を鳴らすこと。 写真左上は会長が補修作業を淡々とやっておられるすぐそばで、親子が写真撮影。見物者が少ないなと思われるかもしれないが、本来ならクローズされている時間帯。写真上右は、ポップコーン製造機などの出店の向こうで30年余にわたって静かに公園を見守ってきたD51470。このD51470の見物客はキャブから顔を出して、「ウワー高い、いろんなものが見える!」ということで、見晴らしの良さも人気の一つ。下の二枚は勿論非常に種類が多い梅林公園の梅。 |
今日も昨日以上に多くの方が梅祭りに来られた。ちんどん屋の行進、人力車に乗って結婚式、モデル撮影大会などが催されていた。今日はU2さんに早朝から茨城からかけつけていただいた。知り合いの春日井のつばめさんはどうされました?ということで、「昨日夕方琵琶湖の方で仲間と一杯があって、宿泊後またかけつけられるとのことです」というとジャ結構ですと言われる。そんな遠方から来られて、せっかくだからと携帯電話で連絡、会話していただいた。 今日は、煙演出は一回だけ、一本だけの発煙筒でも煙の量は十分あった。この演出時、「白い煙じゃ駄目だわ」という見物客の声が聞こえたと副会長。「黒い煙を出したら、せっかくの天井がどうなるか、わかって言っているの?と思ったけれど、せっかく来ていただいたお客さんだから、感謝せねばという気持ちが先にあったわ。なぜ発煙筒なのかを説明してあげれば良かったかなー?」と複雑そうだった。一方、訪問客へのもう一つのサービスとして、春日井のつばめさんにお願いして持ってきていただいた、乗務員用と機関士のJRの帽子を親子連れの記念写真に使っていただいた。これが大当たりといえるもので、「お使いになりませんか?」と差し出すと、「結構です」とは言わず「えっ、貸していただけるんですか?」と喜んで子供にかぶせて「良かったね、良い記念ができて」と感謝していただける親子連ればかり。中には親の心子知らずで、こうした帽子を被ることに慣れていないお子さんの中には、被ってすぐ外してしまう人が居た。そういう場合は、お母さんやお父さんが被って一緒に写って居られた。二つある帽子を親子で被って楽しんで行かれた方も結構あった。 春日井のつばめさんときたさんは今日も補修作業を熱心にやっておられた。のぞき込む見学者も勿論居た。副会長の A.Yaさんはどちらかというと小柄の女性に属する方で、「力が無いわ」と言いながら部品を持ち上げ、「写真撮って!」と楽しんでおられた。 |
おかあさんに、HP にお子さんの写真を使う許可をいただいた。 左は、梅祭りをイメージしたD51470と保存会の名刺。キャブの中に名刺箱を置いているが、かなりの速度で減る。プリントしてスタッフの方に切ってもらい追加。200〜300枚出ただろうか? こうして本当に大勢の方々に楽しみ喜んでいただけたことは、我々スタッフ一同も、これまでの整備作業、今回の準備とがんばってきて良かったという大いなる満足感が有った。副会長は遠路なので先に帰られ、他にも事情で帰られたメンバーが有ったが、最後のお客さんが帰られたあと、残っていたスタッフの記念撮影。上段左・きたさん、右新メンバー、下段左から春日井のつばめさん、D51HPkeeper、保存会長、「赤い電車の会」のメンバーで良き仲間、という順。 この梅祭り直前に、JRサイドのアスベスト検査が有り、白判定だったとのこと、安心して催しができたのだが、整備作業はまだまだ続く。動輪奥のボイラー下のぼろぼろの鉄板修理など、大物が控えている。一方、客寄せの汽笛復活も、一同楽しみに画策しているところ。春日井のつばめさんが入手した、電気機関車の汽笛(2音タイプ)を鳴らしてみて、これなら少々音程を返ればほぼ蒸気らしき音になるのでは?ということで、とりあえず、本物ではないが簡単に復活できそうな方法で進めることとした。近所への迷惑を考えると、音量を小さく鳴らすことができることが何より。本物の5音タイプはじっくり取り組むことにしている。普段は2音タイプ、お祭りなどでは5音の迫力タイプという使い方をしたい。 |
梅林公園の梅祭りが始まった。今年はご存知の大雪が有ったように日本全体冬の気温が低く、梅の開花が全国的に遅れている。梅林公園も例外ではない、黄梅が例年通り咲いたことは以前このページで紹介したが、その他の梅で梅祭りに間に合ったものは、非常に少ない。 が、人出は結構多かった。春日井のつばめさん企画の煙演出は大当たり。機関車の北では琴の演奏が行われていたので、発煙筒の刺激臭は申し訳なく、数を限ることにした。実演してみると、刺激臭は何だろうと多分臭いの方向を嗅ぎ分けて、機関車から出ているのを見つけてやってこられたのだろう。逆に琴はじめ、他の催しは客を失ったかもしれない(手前勝手な話し!?)。 |
リピーターの方には、「きれいになった、よくやって居られる」と声をかけていただける。 写真展は、北面(正面側)に470現役時代、その他の機関車の現役時代(以上は一番上の写真)、南面には搬入時(ひもにかけてテンダー車に下げて展示、左下の二枚はその準備中。それが待てずにのぞき込む見物客の皆さん)、保存会発足、屋根建設、および、近隣の静態保存車、全国の動態保存車、朽ち行く保存車と分けて展示。よくもこれだけ集めましたね、とか、ウワーよく搬入時の写真が有ったのですね、保存会の方が持ってられたのですか?など、の声。保存会メンバーがその搬入時の写真を撮影したわけではないので、ちょっぴり悔しい。提供していただいた、末次さんには本当に感謝です。 この日は、会長はもちろん、副会長も息子さんとともに名古屋からかけつけていただいた(そうです、副会長は名古屋の猛烈なD51ファンなのです、各地の写真も提供していただいたし屋根建設の写真も副会長の作品)。 動態保存車や朽ち行く保存車、静態保存車の提供を受けた HP「鐵の城」のやっさんにも友達連れで駆けつけていただいた。こうしてご協力いただいた皆様に、心底から感謝です。 |