Top Page | 1. 梅林号 D51470 | 2. 蒸気機関車の日常 | 3. 元蒸気機関士 | 4. 今の技術なら | 付2. リンク | 付2. 近隣の保存状況 | 交流板 |
第1章 データ | 第2章 誕生〜廃車 | 第3章 梅林公園展示〜20年 | 第4章 さらに 6年 | ||||||||||||||||||||||
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付1. 今後の予定 | 付2. 顔ぶれ | 付3. 見学者 |
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保存会の発足は意外に新しい。逆にそれまで、中原さん一人に頼り切っていたということになる。が、会が発足し、まず広報活動がスムーズに進むようになった。副会長の一人、名古屋のA.Yaさんがその方面を活発に進めているからだ。春日井保存会(会長の中原さんはもともと会員)との交流も活発になり、さらに2004年夏頃より、春日井保存会所属のニックネームが「春日井のつばめ」「きた」さんを中心に化粧直しが始まってからは、補修作業に磨きがかかるようになった。以下は、新しい順に記録の形で掲載しよう。 |
この日、私(D51470HPkeepwer)が訪れたときは、かなり日が傾いていて、作業はほぼ終了。その時間帯でも、子供数名とご夫婦が見学。春日井のツバメさんが、煙の実演をやりましょうかと提案、実際やってみることに。発煙筒を取り出し、煙突の上から挿入して予めセットしてある皿に置いた。一本では、不足。追加して煙がもうもうとしてくると、訪れていた男の子が急に走り出した。そして、運転席に駆け上がりながら、「お父さん、ぼく運転するんだ!」とはしゃいでいる。しばらくガチャガチャとやっていたが、突然運転席に顔を出して「おじさーん、なんで煙出すの?」と質問。これには春日井のつばめさんも、中原さんも返事に窮する。まず「なぜ煙を出すのか」質問して納得してから、「それなら運転席に行く!」っというのが大人の常識。「かっこいい写真を撮ろうと思ってね」で納得。「僕も!}とご両親に写真撮ってもらってご満悦だった。 この煙、発煙筒では白っぽい。煙の量も増やすためには、本当は重油のようなものを酸素不足で燃すともくもくと出てくる。が、春に付けてもらったばかりの保護用天井板が樹脂製なので、高温に耐えられない。いや、たとえ高温でなくても、すすがせっかくの透明樹脂を黒くしてしまう。しょうがなく、黒い煙を諦めて蒸気のみの印象の白い煙を出すとしても、量を増やしたい。発煙筒を大量に燃せば、独特の臭いが立ちこめる。代替を考えたい。皆様からの提案を待っています。 |
11/5には愛知県のいくつかのSL保存会9団体の方々と岐阜県の中津川保存会の皆さんが中原会長の岐阜梅林保存会に参集、それに合わせて梅林号のお色直しをしたのは前に書いた。私は11/3まで少々おつきあいしたが、11/4にそのできあがりを見たあと、学会や先日の入試のため、来ることができなかった。その間に岐阜新聞(カラー刷り)、中日新聞に5日の会合と、会長が保存活動を開始されて10周年目という記事が掲載された。 一方では、春日井のツバメさん達が交流する web掲示板に、その会合の様子が写真付きで出ていて、私が4日に見た後さらに磨きがかかっていることが示されている。やっと今朝、それを見に行ってみた。 |
中原さんに国旗をつけてもらって、一段と映える 梅林号・D51470。 上のアングルよりもう少し側面を入れてみた。 磨き出された空気作用管(赤がね=銅製)とバルブ類。下と右から下は、近場のSLの保存状態を比較のために。 岐阜県美濃太田・古井小学校のC58280。銅パイプの赤がきれいと言いたいが、徐々に黒くなっていた。 高山線・上麻生駅の C12 163。平日役場で申し込まねば外からガラス越しで見るしかない。白い部品は何なんだろう。一部の真鍮部品がそのままの色を見せている。 諏訪湖の D51824。湖に面して設置。潮風ではないし、屋根をつけてもらっているのに、サビが非道くなってきている。汽笛と罐安全弁は真鍮の肌のまま。 中原さんは、10年前の梅林号も、屋根無しの雨ざらしで20年経過していて錆だらけだった。公園の職員二人が一生懸命整備していたが、手が回らないようだったから、元機関士の自分がやりはじめたのだとのこと。 | 初めて(D51470HPkeeperの)女房が見に来る。中原さんに「主人をよく遊んでいただいて、ありがとうございます」と挨拶している、きっと。 左側面の仕上がり。逆光側なので、写りはよくない。 磨かれた真鍮製汽笛と高圧空気パイプ、黄金色に着色されたバルブ類(逆光で見栄えがパットせず申し訳ない)。この機関車の黒も、中原さんは真っ黒が良いか、つや消しが良いかと塗装前は悩んで居られた。この銅パイプ、真鍮部品もあまりぴかぴかではなんとなく嘘っぽくなる。適度にいぶし状態が良い。 岐阜県・高山児童公園の19648。ここは非常にきれいに保存されている。ただ、すぐそばに一方はラッセル車が並べられているし、他方は自家用車がすぐ側まで沢山駐車されており、写真撮影には全く不都合。 長野県野辺山のC56 96。警笛は黒く塗り込められていた。 春日井のD51792。罐安全弁(二つあるのは、少々の圧力差を付けて二重にすることで、低い方が作動しない場合、もう一つが作動するようになっている)を磨いているのは名古屋・黒川のきたさん。 |
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11/5,6と岐阜大学で熱工学コンファランス2005を開催。私(D51470HPkeeper)の研究仲間の米国人が発表に来た。そこで、自転車で化粧直し直後の「梅林号」を見に行った。 作業された皆さんに、まことに申し訳ないです。手伝いというより足を引っ張った私が、快晴のもと中原さんに次いで、黒く光る堂々の姿(まだペンキの臭いがする)を見ることになった。 このあと、近くの小学校の遠足らしい大群が、きれいになった機関車(実は、皆もともとこの状態だったと思っているのでは?)をバックに先生に「並んで並んで」と催促を受けながら10人ぐらいづつ順に写真に撮ってもらっていた。 |
左が Prof.Bhattacharjee、右はご存知中原さん。ボイラーの火炉にどうやって空気が導入されるかという質問に、ノズルから蒸気ジェットが煙突に向かって強く吹き出すことで強い誘因効果が出るからと、説明を受けているところ。 右は、雨も止んで、動輪の前でひなたぼっこ風のキリギリス?太陽が上るにつれ、徐々に暖かくなってきて、つい居眠り?しているのか、普通ならここまでレンズを近づけると逃げ出すのに、ピクリとも動こうとしなかった。動輪の前で堂々と、静態保存車だから潰されないことを知っているのだろうか? |
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今回の化粧直し作業最終過程です。 ついに、さび止め色は見納めになった。生憎雨模様。見納めに来た人は多くはなかったがそれでも、雨の合間には児童公園や散歩の人が声をかけてくれたり、こちらから声をかけたり。中には、毎年の作業かと思ったという人も。いえいえ今日見れた方はラッキーですよ、これであと10年後かいつになるか、表面が悪くなるまで作業は多分無いですよと説明。 |
梅林号は児童公園の北で再塗装を待っている。このような距離・アングルで見ると、さすがの梅林号も遊具の一種?(実はレンズの焦点距離のなせる技でもあるのです)に見えてしまう。 黒への回帰は炭水車の前面、機関士室側壁面から始まった。(12:03)。銅パイプ磨きは午前から始まっている(手前、神戸からのしゃちおさん、後ろ、長久手からの長久手のヤッさん)。 左側面を名古屋のキタ(黒川・名古屋市)さんに任せた春日井のツバメさんにより、機関助手席前から右側面もいよいよ「黒への回帰」開始(14:11)。 右側面の作業は道半ば(15:13)。 機関車右側面で最後に残ったのは、シリンダー室側面(15:38)。 雨が止んだ中、ほぼ右側面完了(16:34)。そのころ4人ずれ+犬一匹の見学家族が訪れる。羽島から来たと奥さん。しかもあちこちSLは見て歩いていると。ご主人が大好きだったら、息子さんも好きになったという。もしよろしかったら、こんな作業ときどきあるので、参加されませんかと誘ってみると、「本当に?きっとあの人喜びます」という。そして、ご主人と息子さん二人が中原さんのメモ用紙に登録された。 炭水車も終了間近(17:20)。 一応塗り終わったあと、チェック。結構塗り忘れがある。いや、とくに暗くなって来て作業をした炭水車は塗りむらが有った。ほとんど真っ暗に近いので、チェックも100W程度の電球で行うが、電球のまぶしさがチェックを妨げることにもなった。 この日最後に残ったのは磨いた銅管を取り付け作業。多くの保存機関車はこの色も真っ黒。梅林号は真鍮や銅など鉄のようには錆びない部品は材料の色を出したいということで、作業は手間取るが、一旦外して磨きをかけた(実はD51470HPkeeperの作業は、それに磨きをかけることだった)。 |
中原さんの作業は一つ一つに特別な愛着が感じられる。 あせらず、いそがず、ていねいに。 12:00頃左側面から黒塗り作業開始。この写真は13:55。その間、思わぬ出来事。二個のスプレー装置のうち一個が圧縮機付きだったが、パワー不足で噴霧径が十分小さくならず、まだら模様になってしまう。それにすぐ気付いた春日井のツバメさん、即座に小型コンプレッサーから長いホースで引き回すタイプを買い出しに。とにかく、時間が無いので迷っている暇は無い。実は、皆昼飯片手に作業という状態。私(D51470HPkeeper)だけのんびりと自宅まで戻って食事。この風景は戻ったときのもの。下で春日井のツバメさんに助言しているのは、美濃加茂からかけつけてくれた山下さん。 左側面塗装中の名古屋のキタさん(14:14)。右の方がモヤって居るのは、スプレーで飛んだ塗料の霧。大変な作業。 その下で作業中なのは、上の写真の??さん。左下の説明の銅パイプを磨いている。この方、とにかく、手が動くと同じくらい(以上?)に口が動く方。勿論、SL談義。一見して頭脳容量が一般人より大きめなのが写真からわかると思うが、その大きめな分は、神様が SL の知識を詰めるために付与されたのでは?と思うほど。 ボイラーの上半分終了近い名古屋のキタさん(14:23)。反対側では春日井のツバメさんが右側面を進めている。 シリンダー室と運転席側面を残して仕上がった右側面(15:15)。 左シリンダー室も塗装開始(15:39)。 運転席側面塗装作業は、うっかりしているうちに終了していた。この写真(116:19)は、長久手のヤッさんと春日井のツバメさんが磨き終わった銅パイプの向きを合わせ取り付け順に並べている。 ほとんど真っ暗(17:48)な中、銅パイプ取り付け作業が進む。 雨は上がっていたが、気温低下で今度こそほんもののモヤが出たころ、作業を終えた(18:44)。まるで、機関庫から出て来そうな「D51 470・梅林号」。 |
11/5に、後述するちょっとした催しが有るので、それまでに化粧直しをしたいとのこと。そんなことは知らず、中原さんに聞きたいことが有ったのでお宅に電話したら、梅林公園に行っています、とのこと。それで、もしかして作業中かもしれないと思って用心のため 私(D51470HPkeeper)勤務先研究室のユニフォームの「つなぎ」をリュックに入れてでかけた。汽車に近づいたらサンダーの音。見てみると、石炭車が今までさび止め色だったのだが、本体の機関車左側面もそうなっていた。右側面は古い塗装を剥がしている最中。つなぎに着替えて、私(D51470HPkeeper)もじゃまにならない程度に1〜2時間お手伝い。そこには、中原さんと一緒に保存会立ち上げ運動をしたという名古屋市守山区から来ているという女性(八島昭子さん、春日井SL保存会のメンバーでもある)もおられた。皆作業に熱中。愛知県のいくつかの保存会の合同の集まりがあり、次回は11月5日に愛知県内ではなく隣の岐阜県の梅林で集うと決まったそうで、せっかくの機会だから、それまでに片面だけでも化粧したいとのこと。それまでにもう時間が無いということで皆がんばっておられたのだった。 驚いたのは、岐阜の人が少ないこと。横浜からかけつけ、土・日・月朝まで作業するという方、神戸から来ている方、つくばから、春日井から(やはり春日井SL保存会のメンバーで、今日は参加されていないが、もう一人常連の方も居られる)、多治見からと多彩。実は岐阜は勘定外に等しい私(D51470HPkeeper)を数えても、中原さんと二人にしかならない。(今日は来られなかったが、実は岐阜には元機関士がもう一人の方が居られ、いつもは参加)。今、このページを読んでいる岐阜の方で、もし興味と余裕が有ったら、機関車の模様替え、参加してみませんか?次回、確実なのは、10月30日(日)。私(D51470HPkeeper)も余裕が有れば、どんどん変わってゆく様子をも見たいので、おじゃまする予定。もし、若井研の学生で興味が有る人が居たら、連れてゆきたい。つなぎ程度と軍手、マスクが必要。 一方、このD51 470号は、昭和30年、天皇が那須へ旅行されたときのお召し列車の牽引または、控え機関車になったことがある、由緒有るものとはこの日中原さんから聞いた(昭和15年・国鉄大宮工場で製造、それから東鉄局新鶴見機関区、昭和19年同平機関区、昭和20年同高崎第一機関区、昭和38年広鉄局厚狭機関区、昭和49年廃車となっていて、昭和30年梅林号D51 470はその地に居た)。いよいよ皆さん熱が入るはず? |
右から、つくばのやまてつさん、会長の中原さん、横浜のポニーさん、春日井のツバメさん、神戸のしゃちおさん、岐阜のD51470HPkeeper、多治見の沖中さん。 数名がこのカメラ方向を見ているが、残りが右方向を見ている。 実は機関車の右側面をとらえようとした私(D51470HPkeeper)のカメラに対し、もう一台が左側面を背景にしようとしており、同時にシャッターを押したため、皆 どちらを向いて良いかわからず、こういう事態になった。 旧塗料を剥がし、鉄の表面が出た機関助士側窓。パテ塗り中はつくばのやまてつさん。 |
右側面は、上半身がサビ止め状態。 10年前、梅林号保存会立上時中原さんに協力された八島さん(左)、最近 の作業にはこの人が居ないと進まないという重要人物の春日井のツバメさん(右)。 左に同じ状況の、除煙板。 |
昔有名だった岐阜市柳ヶ瀬の東約1kmのところに、梅林公園がある。名の通り梅の林。その数約50種類を誇る。そこにSL(D51)が展示されている。10年前は、雨ざらしの放置状態で錆が浮き、あらゆるところがぼろぼろなってきていたとのこと。見るに見かねた元国鉄マン(機関士)がボランティアーで整備を開始。仲間も増え、非常にきれいになってきた。そこに1000万円ほどかけて岐阜市により屋根などが作られ(上にリンクを張ったページの写真は屋根の無いときのもの)、今は小学校などの遠足で解説することが多いという。 蒸気機関車は、熱機関の大御所としての地位は不動。だが、熱力学・熱機関を習う学生も、ガスタービンやら蒸気タービンは習っても、いまさら蒸気機関を習うことはまず無い。ボイラーの構造は今も似ているし、いろいろの仕組みには当時の工夫が満載。実はガスタービンもスティームタービンも、多くの学生にとって本物を見るチャンスはそんなに多くはない。それが実物がそこにある。私も知りたいことが一杯ある。 そのボランティアーで整備・お守りをしておられる元国鉄マンが実は私の自宅から500mほど先の梅林公園との中間点に住んでおられることがわかった。それで、17日、お願いして話しをうかがった。 |
ボランティアーで整備を続ける中原さん(他に数名仲間が居られるとか) |
運転席・D51 の右の数字は この形式のSLの製造順番号 | |
運転台の石炭釜口とその 上に満載された計器類。 | ||
石炭車、重量は機関車の3/5と結構重い。 ここは、当初篠ヶ谷公園と呼ばれていた。 |
そのときの話しを含め、技術的な視点の内容などはまたいずれ、ページに起こしたい。 |
岐阜市議会議員の祝辞、会長の「D51に屋根がついた」よろこび、岡崎蒸気機関車保存会・会長の寄稿など。 |
車体の一部に穴が開くなど痛みが激しくなってきたことから、昨夏、細江市長・地元自治会との懇談会の席上、屋根敷設の要請、市は設置を決め3月完成。幅6.6m、長さ約21m、高さ約5.4m、透明に近い素材を使い、周囲への景観に配慮。5月下旬には屋根完成と保存会設立一周年を祝う式典開催予定。 |
実際は二日ほどで完成していた(写真提供は、副会長の A・Yaさん)。 |
梅林公園は岐阜市ものもであり、機関車関係も市が動いてくれないと、どうにもならない。おかげさまで市長の理解を得られ、設置が叶った。中原会長の長年の夢だった。風雪を凌げたのも会長の努力による。その大変さを、市が認めてくれたということだろう。確かに雪が降るとこの巨体にシートをかぶせて守るなど、とてもボランティアーというだけでできることではない。(写真提供は、副会長の A・Yaさん) |
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