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第1章 データ 第2章 誕生〜廃車 第3章 梅林公園展示〜20年 第4章 さらに10年 第5章 保存会発足後
付1. 今後の予定 付2. 顔ぶれ 付3. 訪問帳から






第 2 章 現役時代の勇姿 (昭和15年〜昭和49年)




  1. 昭和15年 9月12日〜昭和19年 9月(東鉄局 新鶴見 機関区時代)



  2. 昭和39年 9月14日〜昭和20年11月(東鉄局 平 機関区時代)



  3. 昭和20年11月19日〜昭和24年 8月(東鉄局高崎第一機関区時代)




  4. 昭和24年 9月 1日〜昭和38年 9月(東鉄局高崎第二機関区時代)

    • 昭和20年(1945)〜昭和(30) 松井田駅(碓氷峠入り口)

       イカロス出版・「封印されたあの日、あの時 国鉄礼賛/イカロス出版梶vp.7に掲載されていると山陽急行ながとさんからの情報(ありがとうございます)。碓氷峠は軽井沢への入り口。この松井田駅は、その碓氷峠への入り口で、下の横川駅より少し東京寄り。早速、本を入手して確認した(by D51470HPkeeper)。撮影者は五十嵐六郎氏。その本で、停泊している駅名、撮影年月日が記されていないようだ。あるいはどこかに書いてあるのだろうか?山陽急行ながとさんは駅の風景から特定されたのだろうか?


    • 昭和29年(1954)3月
       
      保存会長中原さんが撮影者ご本人から4ツ切りサイズを寄贈され大切に保存されている。撮影者は、高崎在住の歯医者さん。このページへの掲載を快く承諾していただけた(06.1)。ありがとうございます。(by D51470HPkeeper)



    • 昭和30年(1955)7月28日 信越線・横川駅
       
      写真の入手と、掲載許可のプロセスは上と同様の経緯。非常に状況の良い写真。
       なぜこんなに磨きがかけられているのかという点については、曰(いわ)くが有る。470保存会長は、このとき天皇の旅行のお召し列車の牽引または控えになったという話を聞いたことが有るとのこと。
       そういうことなら以下のようなことではないかと、831列車さんは推測される。「これは信越本線の高崎〜横川ではないでしょうか?いずれにしても同機にはこのような輝かしい記録があるわけですね。そして貴HP掲載の1955年7月28日の写真がまさしくその時のものだと思いますが、同機が本務だったのか予備機としての整備だったのかははっきりしていません。この時の記録は天皇皇后両陛下と皇太子様が軽井沢へ避暑に向かわれた際のもので、470号が牽引したとすればおそらく往路は7月25日であったはずです。(画像の28日は帰路の時のものかどうかはわかりませんが)当然 D51の牽引区間は高崎〜横川であったはずですが、今後470号の履歴に詳細を加えることがあればこの間の記録を詳細に御存知の方に検証していただければと思います。」ミステリアスなことは暴かない方が楽しいような気もするが、近いうちに撮影者された方などに聞いてまたここに報告したい。あるいは、この背景をご存じの方のご一報に期待したい。
       そう書いていたところ、数日後、831列車さんからさらに情報をいただいた。鉄道ピクトリアルの(No.681 00-10月号)の内容について。それによると、やはり天皇が軽井沢へ避暑にでかけられたとき信越線内横川以東を担当とある。この解説どおりだとすると、控えではなく、れっきとしたお召し列車だったことになる。控えだったかもという疑念は、装飾が無いことに起因するが、この解説文ではそのことに触れていて、公式行事ご出席のための運転では無かったためで、電化区間担当のEF58 61にも国旗は付けられなかったというとのこと。これは、大変嬉しい情報。831列車さんに再び感謝。(by D51470HPkeeper)



    • 昭和35年(1960)3月11日、横川駅にて
       

      D51470+D511090重連風景。運良くD51470が先頭車。俗称"mo-yan"さんのホームページに掲載されているのを見つけ、原画のスキャンをして送っていただき、転載許可もいただいた。ありがとうございます。(by D51470HPkeeper)


    • 昭和36年(1961)11月 3日、松井田にて
       831列車さんから、鉄道ピクトリアル No.700(01-5)月号に重連の2位に位置する姿が有るとの情報。確かに、509のページ中の解説に急行「白山」を牽引する重連の2位が470と書かれている。撮影は篠原力氏とある(831列車さん情報ありがとうございます)。

    • 昭和37年2月16日、丸山信号場へ
      「碓氷峠の一世紀-運転史から見た横軽間の104年(下)」 五十嵐六郎氏撮影

    • 昭和38年1月26日、八高線丹荘駅にて
       「昭和30年代鉄道原風景(国鉄編)」より J.W.Higgins撮影

    • 昭和38年(1963) 8月 3日、松井田にて
       上と同じく、831列車さんから、鉄道ピクトリアル(No.691 00-10月号)に八高線で貨車を牽く姿が掲載されていると連絡があった。普通と違う部分を際だたせて解説してある。撮影は堀江光雄氏とある(831列車さん情報ありがとうございます)。


  5. 昭和38年 9月12日〜昭和48年 2月(広鉄局厚狭機関区時代)




  6. 昭和48年(1973)2月25日、厚狭機関区で最終運転2
     九州、中国地方を中心に蒸気機関車の写真を掲載している、C5546さんの
    be style というページに、二枚の D51470の写真を見つけた。さっそくお願いして転載許可をいただいたばかりか、他の写真も送付いただいた。中でも、アニメ gif 化されたものには、感激。本当にありがとうございました。

        下の鷲エンブレム、上のToshiさんの写真では、わからなかったが、C5546さんのこの写真では、反射具合から切り際に凹凸が有ったことがわかる。意外と薄い金属から切り出したものなのだろうか?静態保存している梅林公園のD51470に取り付けたエンブレムは1mmのアルミ板。ミシンのこぎりで切断するとき、羽根の先端部の返し部分が細く弱く、少々曲がったが、それがかえって現実的だったわけ。いつか何とかしようと思っていたが、そのままで良さそう。
     下右のキャブ機関士側窓枠下は、溶接あとなのか、ひどくたわんでいる。いつも整備作業していて、気づかなかったが、確かに今もたわんでいる。整備作業に身が入っていない証拠!!
     
     


       このアニメ、C5546さんからのプレゼント。フィルムカメラでも、高速連続撮影は可能になったが、ほぼ40年前、よくこれだけ細かいピッチで連続写真が撮れたものと感心するばかり。レール横で、何人ものカメラマンがぱたぱたと動く姿がシルエット状に写っており、シリンダーから噴出する蒸気の勢いに負けて、後退する様子のように見えてくる。その蒸気に、大勢の姿が隠されてしまい、ついに一人だけが残り、それも白煙にかきけされるという風に見え、このとびとびのピッチでの動きになると、なんとなくわびしさを覚えるのは私だけだろうか? とにかく、貴重な映像。



  7. 昭和48(1973)年 2月26日〜昭和49年 4月(広鉄局長門機関区時代)



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